心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年07月24日(木) 需要と供給

別に僕は、自分がお金を出して購読している新聞に「良識」を期待していません。それにはある程度の公平性とか客観性が確保されているかもしれませんが、それは民間放送のバラエティー番組と同程度のものでしかありません。広告収入によって成り立っているテレビより、購読収入によって成り立っている新聞のほうが健全であると考えるのなら、それは幻想です。国民の9割が「軍隊があったほうが良い」と考えるなら、どの新聞もそう書き立てるでしょう。それは、戦時中の新聞報道を見れば明らかです。しょせん需要があるものを供給している媒体に過ぎません。
朝コーヒーを飲みながら、半分しか起きてこない頭が8割ぐらい起きるまで、新聞を読む習慣があります。中学生が幼児を殺害した事件の被害者の親の手記が載っているのを読みながら、「なぜこれがここに掲載されているか」意味を考えていました。その文章にシンパシーを抱くこともできませんし、弁護士を通じて報じられる加害者の親のコメントにも感じるものはありません。ただ、自分が同じ立場に立ったら、同じ発言をするかもしれないというだけです。
特別扇動主義的な記事でもありません。ただテレビにしても新聞にしても、受け手の望み以上のものを伝えたりはしないものです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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