心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年06月24日(火) コントロール

一日中怒られてばかりでありました。
だいたい怒っている人というのは、トラブルを抱えている人であり、そのトラブルを自分では解決できないので怒っているわけです。自分で解決できれば、怒りを他の人にぶつけたりはしないですから。つまり怒りとは「自力解決不能の表明」であり、言い換えれば「無力の表明」でもあるのです。ただ、怒ることでパワーを得ることができ、問題の解決を他者に迫る能力が「自分にあるのではないか」という幻想が誰にでもあるのでしょう。
で、こと仕事で僕に怒ってくる人というのは、僕自身が解決をしくじった問題があるからであり、その解決を僕が提示できれば、怒りは収まってくれるのです。しかし、僕だって解決不能な場合もままあるわけです。そうすると相手の怒りはいや増すのですが・・・。
僕はアル中としての年季を積んだことと、それと技術者として経験からやっと学んだことは、
「その場逃れのためだけに、できない約束は絶対するな」
というものであり、「きょえー、どうしてくれるんだよぅおうおう」という問いに対して、「ともかくできないのです」と冷たく言い放つことが両者にとって最善であるということです。
それでも、「くそー、そうやって開き直ってろ、このクソ野郎ぉぅガリゴリガリ」といって携帯電話が切れてしまうと、ちょっと後ろめたいというか、可哀想というか、何でオレがこんな言葉まで浴びなきゃならんのだ!という感情が混ぜこぜに浮き上がってくるのです。

人あしらいのうまい人というのはいるもので、「なあ、俺はこんなに困ってるんだよ。助けてくれよ。なんか考えてくれよ」と言われると、それをムゲに断ってしまうのは、こちらが人でなしになってしまう気がして、夜9時まで働いてしまったりするわけです。それで、明日も朝がいつもより2時間早いと・・・。

うまく操られてしまったのも悔しい気もするのですが、それは仕事だからしかたないとしましょう。でも、そうやって人を操ってまで仕事をこなして、楽しいのかなぁと思ってしまうのです。

手持ちの金は有限だから、金の力には限りがある。それを超えたところで、怒りで押し付けようとする人もいれば、感情を操ろうという人もいる。セックス・友好・注目・安全。ちらつかせるのも人間で、食いつくのも人間。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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