ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年04月07日(月) 断酒と言う結果 AAメンバーの皆さん。あなたは、自分のソブラエティ(飲まないで生きること)が、AAプログラムのおかげだ、と自信を持って言うことができるでしょうか?
ちょっと表現を変えてみましょうか。
「自分がプログラムに十分に取り組んでいるから、ソブラエティが与えられている」
はたしてそうなのか、自分はいつも自信がないのであります。
初めて会ったアルコホーリクは、入院回数が数えられないほどすごいご仁でございました。
病院から出れば必ず飲むという人です。若い頃から酒にまつわる話には、ことかかないようでありました。
ところが、30代の頃、特に何もなしに「2年間酒を止めていた時期があった」そうなのであります。酒を止めようとは思ったけれど、特に断酒会に通うとか努力はしなかったそうです。
悲壮な決意があったわけでもなく、我慢に我慢を重ねたわけでもなく、2年間を過ごしてまた飲み始めたら、元に戻り、もう二度と酒を止めることができなかった・・と話は続きます。
この「なんとなく2年酒を止められてしまった」というのが、僕の恐怖の対象です。
自分がAAプログラムに取り組んでいるおかげで、お酒が止まっている・・・のじゃなくてそれと「たまたま酒が止まっている」が重なっている可能性があるではないですか。
僕のソブラエティは単なる偶然、いつ飲みだしてもおかしくないかもしれない。
ところがその考え方には誤りがあると言われました。
プログラムに対する「自分の努力」=「断酒と言う結果」であるという考えが間違いで、あなたが取り組めば、神は常に「今日一日のソブラエティ」という結果を与えてくれるのだそうです。自分の努力がソーバーを支えている(かもしれない)と考えるのは、傲慢であろうと。
ああまったくこの病気は、高慢と自己憐憫の往復であります。
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