lessons on faith from Abraham - 2004年01月05日(月) ニューイヤーズ・デーは仕事だった。 着替えの洋服を持ってってたから、デイビッドんちでシャワーを浴びてそのまま仕事に出掛けた。仕事中に二ネットから何度もペイジが入る。夕方電話したら、「うちでパーティしてるからおいでよ」って。二ネットのうちは病院のすぐ近くで、だんなさんとふたりで歩いて迎えに来てくれた。わたしがデイビッドのことを「シリアスじゃないんだ。彼によれば」って例のごとく言ってたから、だんなさんの友だちのシングル・ガイを紹介された。悪いけどとても好みじゃなかった。 11時頃にはうちに帰った。 2日も仕事。仕事のあとデイビッドにまた会いに行く約束だった。デイビッドは日曜日からナントカってカリビアンの島に、短い休暇に行っちゃうから。 チベットのレストランでごはんを食べて、ふたりとも眠たくて11時にはベッドに入る。そしておしゃべりしてるうちにまたデイビッドの心ない言葉からケンカになった。わたしは嫌ったなんだから。日本人だからとか日本人なのにとか、日本人でもなくて日本人のことなんかよく知りもしない人からそういうふうに言われるのがたまらなく嫌なんだから。何度言ってもデイビッドにはわからない。わたしが嫌だって知ってるくせにやめてくれない。「きみはセンシティブなんだよ」ってデイビッドは言う。「そうよ。多分センシティブよ。だけどそれならあなたは way too インセンシティブじゃない」。 そうやって罵り合って傷つけ合って、エスカレートしてもっともっと傷つけ合って、わたしはデイビッドのほっぺたを引っぱたいてベッドルームの階段を駆け降りてデイビッドが追いかけて来て、もっともっともっと傷つけ合って、そのうち段々落ち着いてって、落ち着いてって、リビングルームのカウチに座って長いこと長いことたくさんのことを話し合った。 こんなにケンカばっかりして、わたしたちは少しずつでも近づいてるんだろうか。ケンカするたびにお互いをもっと知り合えるようになってても、それは何を意味してるんだろう。シリアスにならずに一緒にいられることが僕にとっては楽しかった。だけどシリアスに考えなきゃいけないって今思い始めてる。ちゃんと考えなきゃいけないんだろうな。ちゃんと考えるよ。デイビッドはそう言った。 日曜日の教会は、エブラハムとアイザックのところだった。旧約聖書は相変わらず胸がワクワクする。15年待って、やっと神さまからの計画通りにアイザックを授かったエブラハム。どこまでも掘って掘って手に入れたコールをどこまでもどこまでも磨いて磨いてその奥の奥からダイヤモンドが見つかる。エブラハムのアイザックもおなじ。神さまは誰にも光輝くダイヤモンドを計画してくれてる。神さまは教えてはくれない。どれだけ待てばいいのか。だけど必ずダイヤモンドは見つかる。 ちゃんと考えて出すデイビッドの答えはいったい何なんだろう? わかんないけど、どんな答えであっても多分わたしは平気な気がする。それも神さまのプランだから。それがダイヤモンドじゃなくても。そう思いながらもわたしはどこかで信じてる。多分そんなに時間はかかんなくて、それはそんなに悪い答えじゃないんじゃないかって。 明日デイビッドが帰ってくる。 -
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