21世紀猫の手日記
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| 2025年11月29日(土) |
ちょうどいい鼻血、いや話。母のことで気がついたこと。 |
昔はタイプミスが嫌いだったが今はどうでもよくなっている。エー最近読んだのは、殺し屋の営業術、面白かった。なんかいろいろとちょうどいい感じがする。ただ、後半の色々が、キュッと詰まったような感じがするので、飛ばして読む癖のある人はえ?何が起こったになるかもしれない。
ちゃんとゆっくり読めば、おー!!となる。
きれいにまとまっていた感じがする。
敵キャラは、申し分ない感じだし、…映画だと、地味かも。アニメとかマンガだったらいいのかも。
とんでもスキルで異世界放浪メシの2部が見れてよかったなーという今日この頃です。安定の面白さですね。チラ見える、商品ラベルも好きです。ついに私は、このアニメを見て、フェル様がだいすきなニンニク風味のステーキソースを買ってしまいました。2部から参加のドラちゃんもかわいいですしね。癒しですね。
長々悩んでいた、親との関係なんですが、共依存というよりは、家が黒カビまみれになった事件の流れを思い出すと、構造的に私の話というか、感情には共感しないのがいつからかというと、……幼少のころからではないか?と母方の叔母と話して思い至りました。
うーん、で、やっぱり幼稚園児の時点で、家にいて寂しいとか安心感がないのはおかしい。それと、いとこからリカちゃん人形と家のセットをもらったんですけど、それで遊ぶと母がいい顔しないんですよ。近所の3学年くらい上のお姉さんと、ままごとをするとすごく嫌がっていた。そう、母親は私が20代のころになるとかなりの勢いで、田嶋洋子みたいなこといって、私をビクつかせていた。マジで弟子かなんかなのかと思っていた。
で、まあ、母の思想の受け売り的なことを言ってみると、これが驚くほどのトラブルを招くんですよ。トラブルが起きて母に相談すると、ぶっちゃけセクハラがらみだったこともあり、(余談だが)なぜか被害者の私が職場にいづらくなるという謎現象が起きたりもした。
で、何が言いたいかというと、母、家で田嶋洋子先生のような発言をしたらまぁ、確実に父とけんかになりますわな。私のいる前では言い争いはしないようにするルールがあったようなんです。でもですな、本当は母は、のちに共産党員になってしまいなしたが、精神内容は、ぶっちゃけいわゆる”活動家”だったと思います。ヘルメットかぶって棒をもってデモするたいぷの人だったんです。
……それは、私の気持ちに共感するとか、感情を大事にするとか……私はそれを長期間望んでいたし、なぜ話が通じないのか謎でしたが……(月曜からよふかし風に)……家庭にはいたけれど、彼女はそんな次元ではいきていなかった。それよりも、政治のことや、平和を維持することの方が最優先だったんですよ。完璧に家事をしてたのは家庭的だったからではなく、父に文句を言われないためでした。結婚も正直、外聞とかそういうものだったかもしれません。
そして、母が職場でいじめにあって退職したりしたのは、すごく正しくて理想を持っていたからでしょうね。ただ、まわりは、若い女が生意気に偉そうに正しいことを言うってんで、反感をもったのかのかもしれません。私への仕事の誘導や、生活など経済的なコントロールのしかたなどをおもうと、嫌だと何度も断り続けても機関誌を取れと言い、投票先を指定するしつこさを思い出すと、正しいか正しくないかを優先する人だったのだと思います。
私の周りは、多少共感できない話をしても、そうだねって、一回受けるタイプの人が多いんですね。もしくは、そうだねぽいんとを探す系。でも、母親は稀に見る、自分が思わなかったら、徹底抗戦して相手を論理的にねじ伏せる系なんですね。こういうタイプは他にいなかったので、正直ぽかんとしてしまいます。
あと、父もそういう傾向があるんですが、たとえば、神様とか自然とか自分が理解しきらないものに対する感受性というのが、自分と両親ではすごく違うんです。彼らは、自分の理解しきらないものは、一応ないってことになるんです。たとえば、神仏とかですね。私は一応あるって受け止める。
だから、父なんか、伝統とか、土地を開拓した先祖のおもいとか…重きをおかないんですね。私は、彼らが苦労して、お金をねん出して作った墓石だからよほどひびが入らない限り、先祖の名前が刻まれたものは壊せない。父はそれを、スカッと壊して珍妙な墓を建てることができるんです。
気持ちを分かってほしい、自分の話を聞いてほしい、若いころはかなりそれで悩んだ。中年期になると、何で話が通じないのか理解不能だった。それがすごく悲しかったのだけど……よく考えると、私に人生の選択肢をほぼくれなかった。
おそらく、彼らが入れたいと思った高校に落ちるかもしれないから、絶対おちないあほな高校を受験してはいるまえから、ものすごいコントロールをうけていた。感情の共感など、期待してはいけない人たちだったんです。愛がないわけではないのですが、私が経済的に自立してからも、外見や職業、生活や投票先もまで、コントロールしていたんですね。(苦笑)
残念ながら、私は最初から彼ら以下で、コントロールしないと何をするかわからない彼らの心のアラームを鳴らしてしまうタイプなんですね。うまくいえないんですが、たとえば、自然自体が生きていて美しくてそれがありがたくて、自分もその一部として世界に存在することもありがたくてとうとくて感動して涙を流す。……、かなり今の私の言葉で表現していますが、子供のころから感じているのはそういうことです。
両親は、それ、ナッシング……。まぁ、すくなくとも、理解しようとはしませんでした。どっちが悪いというよりは、意思の疎通は難しく、こういうのは感性が繊細なほうが一方的に傷つくので、距離を全力でとったほうがいい関係でした。
うーん、うちは他にもいろいろと、問題があって、私の適応能力が低いのではないかという感じもするのですが、本人は理解してもらえないことに非常に傷ついている状態が長いんですね。、両親の意向だったり、両親が干渉しにくい業種を選んだりと、自分がやりたいとか、いやすいという環境を一番に選んでいませんでした。
両親が出してくるのが、嫌なことか更に死にそうなくらいに嫌なことという選択肢でした。一見自由なようでも、向こうから訪ねてきてコントロールしようとするのは、やはり判断力を奪われる。普通の親子関係というよりは、私がひたすら一方的にやられまくる関係でした。
うまく表現できないけれど、かなり虐待に近い関係になっていたんだと思います。母が倒れてからは特に。もう、父の命令を聞かないとおこられますからね。私の意志は無視されます。ずーっと。
話が通じないばあいもある。と最近はあきらめがつきました。残念ながら話を聞いてあげる対象ではは私はなかった。と、気がついた。うーん、まだもやもやはするけれど、だいぶ落ち着きましたね。ああ、そうだったんだと。
zaza9013
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