21世紀猫の手日記
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2024年09月07日(土) 旅に出たい。

♪孤独な―たびびとー、いずれ僕らそんなもんだろうー

44号線を走ってきました。今、カビが流行っている方向です。ガウナか?

道がまた、危ない。車の家族シリーズでいうと、デジャヴーが出る。物凄いいきおいで抜いていく車をデジャヴーさんと呼んでいる。あの曲です。
100km出していても曲がれる道ではあるけれど、デジャヴーさんたちは早い。120は出てるような気がする。

たまにトラックの対向車のデジャヴーさんが出てきて、真正面を見る羽目になって結構怖い。こっちに来るまで、あんまり……見ないアングルでしたな。これは事故前に見るアレじゃないのかと、めっちゃ端による。

基本、早そうな感じの車が来ると、端っこに寄ったりして譲ってるんだけど、後ろばっかり気にして走るわけにもいかないですしな。高速じゃないんだからもう……。距離があるのはわかるけど、早いなぁ。パトカーいるときだけだね、制限速度は。おとといは鹿が転がってたしなぁ。危ない。



某氏と親の話、再び。

かなり苦しい状態が長かった。自分で自分の人生の判断ができなくなっていた。それにまた気がつかなかった。なんで、世界平和とか貧困で苦しんでいる人がいるから無くすように、みたいな話は理解できるのに、私の苦境が理解できないのか?

この前も書いたけど、全く理解する気がなかったのかなーと思うと恐ろしい。理由はわからないんだが、感情的な事っていうのは、彼らにとっては次元の低い話でそんなん聞くに値しないことだったのかもしれない。何言ってんの?環境がブラック?疲れる?体がもたない?赤ちゃんじゃないんだから我慢しろってことだったのだろうか?当時の労働環境や生活状況なんてかなり深刻にやばかった。誰に言っても、それじゃあ長持ちしないでしょうというのが感想だ。赤旗読んでて、私にも強要するのに、私がソレ系で困っていても興味がない……?。


まぁねぇ、ああしろこうしろは言うけど、基本私の仕事に対する知識は無いからねぇ。心配だったのかもしれないけれど、全く知らないのに、なぜあんなにガッツリ命令することができたのか。いまだに、謎だ。間接的に私を殺そうとする悪霊に取りつかれていた、というのが一番納得がいく感じだ。命令されればされるほど、いろいろと私は追い詰められていた。苦しかった。

思い出したくないんだけれど、バーンアウト状態で動けないんだ、どうしてこうなったか、今どういう状態なのか聞いてくれって言って、そういうの興味ないって言われたのが、何年たってもかなり響いている。衝撃で声を失うとか動けないとか、初めてがこれだったな。普通に包丁を持って立てこもる人を見たことよりはるかにショックだった。でも、向こうの命令は聞かなきゃならないんだよなぁ……。

相手の事をまったく理解する気の無い関係ってのは、やっぱり破綻していた。自分がいい年になってみると、そんなコントロールしてどうすんだと思う。わからん。
……いやでもそれって、すごく心が傷ついたのにもかかわらず、もうちょっと理解してもらえないかと、私が離れられなかったのも病気だよな。
そういう人たちとは、追いかけてきても、見捨てられるのが怖くても、感情的にも物理的にも離れないとダメだったなと今は思う。判断力、責任とか、自己決定とか、自立できてなかった。

結局、向こうはなんともなさそうなんだけど、会うたびに私の気持ちがすごく傷ついて、苦しくて嫌で憎しみ無限大で、あった後は一週間くらい毎朝泣いてから出勤するとか(苦笑)。何年たっても、私が言うこと聞くのがあたりまえとか。
関係はゆがんでるし、私の心の発達っていうのは、遅いというかゆがんでますわな。その年代ごとに、獲得するようなことが、できてなかったなと思いますもん。

それに気がついた時点で、親に何と言われようと、自分の心を育てたり守ったりするような行動が第一に取れないと、人生棒に振るというか物凄いハンディキャップになるなと思いました。

自分を大事にする行動、筋トレ行くとかw、バイク乗ってきれいな風景見に行くとか、ヤバイと思ったらカウンセリング行くとか、行動がとれるようになったの最近じゃないかな。20代は勢いで何とかできた。

一回燃え尽きてしまってからはなかなかできなくなった。お金が無かったせいもあるけど、憎しみの中で我慢し続けていた。無駄にかなりのエネルギーを使っていて、絵を描くとかライブいくとかあまりできなくなっていた。働いて、息してゲームして、実家へ行ったら精一杯。もう死にそうみたいな。私だけがすごく嫌な気持ちになっていた。

これは、あんまり良くない人生だったなと、お話をした。職場の嫌がらせのおかげで、最近まで私が憎しみでいっぱいだったと気がついただけよかったのか。パワハラがなければ、ずーっと憎しみ無限大状態でしたからねぇ。

今後の人間関係を考えると、適切な距離をとれるようにする。依存的な関係にはならない。友達以上、親友レベルになるような人には、自分がACでかなりの強さと長さが共依存だった、自分も人をコントロールしようとしたり、必要以上に他人に頼ったりするかもしれない、お子様で自己中だって取説をしないとダメだなと思う。長年付き合いがある人には、依存的だろうなと思います。お世話をかけてしまっている、感謝しています。

年をとって寂しい年より同士、誰かといっしょに住もうとか思うことがあるかもしれないけど、私に家族は難しいなとおもう。自分のところに来るのは、金か介護か先祖供養目当てと思った方が間違いはないでしょうね。んー、私には人間関係を構築する能力は著しく低い。感情のコントロールも、今の段階では微妙だし。そのうえ、家族イコール苦痛があまりにも長すぎた。という寂しい落ちの話になりました。

自分が、家族がこういう関係だったらいいなとおもったのは、自分が行ってたお寺の住職と奥さんでした。亭主関白ではあったけれど、親がこういう人たちだったらよかったなと思いました。人間関係とか距離の取り方とかも、こんな感じだったらよかったなと思ってました。

よそは良く見えるのかもしれませんが、思ったことが言えるんだからねぇ。言っていいんだもん。嫌だったら、嫌っていっていいんだもん。うらやましいですよ。話し合いの余地がある。妥協点をみつけれるんだもん……。私にはほぼ無いもんな。常に気持ちの基本が不安定で怒っていたり憎んでいたり泣いていたり、良くなかったなと思いました。


それでもねぇ、気がつかないで憎み続けたりしているよりは、今は多分幸せなんだろうな。つらかったこと、苦しかったことを唐突に思い出して、泣いたり怒ったりはしてるけれど、頻度はだいぶ下がっている。ありがとうと思って泣くこともある。7月、8月にくらべれば精神的にだいぶ落ち着いてきているだろう。


zaza9013

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