航海日誌

2002年03月12日(火) 全然知らなかったよ。

こんにちわ。

今朝は昨日のことを書こうと思います。

思いがけず、いろいろありました。


待ち合わせはあいかわらずはっかさん遅れてくるし。(涙/やっぱりね。)
それをみこしてぎりぎりに行った私も私。

前半高島屋をめぐって、ひさしぶりに超絶おいしい喫茶店に。

ブレンドが美味しいなどという店に会ったのはほんとうにひさしぶり。

それにしても疲れました。楽しかったけど。

後半、四季を見にいくので、伏見で歩いていたら。


何ヶ月振り?いや、何年ぶりかに、友人にばったり。(笑すげー。)

道で会うことってあるんですねぇ…。

さて、『異国の丘』劇団四季の新作です。

すごい。

何がすごいのか。脚本は王道だが、そこはかとなくちりばめられたメッセージが。
流石、浅利。

それよりも私の世代、またはそれより下の世代に見せたい劇です。

母は母で、あんな綺麗な格好してないわよ、とかいうし。(苦笑)

だって、演劇ですからねぇ?私だってそれくらいはわかります。

で、今日の全然知らなかったよ、というのは、異国の丘に出てくる歌で、今日も明日も異国の丘に〜(か、で?歌詞おぼろけ。)
という歌があるのですが、わりと古いメロディっつうか、『大日本帝国ばんざーい。』みたいな頃の軍歌に似た感じの曲調なんですが。
その歌は、有名らしいですね。
見にいってない母が、歌い出した時はびっくりでした。

戦争に関する図書はいくつか読んでいますが、戦争は人種など関係なく惨いことを人々にしたのです。確かに、映画やドキュメントにくらべると、ライト調に描かれていますが、それはあくまで演劇であるからだと私は思います。そこに込められたメッセージをどう受け止めるか。それが問題であり、浅利慶太が問題提議したことなのだと私は思います。

劇中に出てくる『明日への祈り』という曲は、泣けます。
この劇が、もっと悲惨で、より写実的であれば、最初から最後まで泣き通しのものになってしまうでしょう。涙さえ、流して良いのかわからない。

今、今日もわたくしは映画を見に行ったり、好きなことをさせていただいていますが、それでもこの世には残酷かつ、人間の残忍さ、汚さで満ちています。劇というのは、それをどう受け止めるかは個人の自由ですが、少なくともこの劇だけに終わらず、過去を刻み続けることは、きっと必要なことなのでしょう。

劇中第二幕から来られた方や、不快な客もいました。ああ、あれは結局作り物でしょう。と言う客もいました。

作り物で何が悪いのか。

そんなもの現実にあったら、もちろん現実を元にしているものだけれども。
何だかうまくまとまりません。

この劇は、日本人だけでなく、人としてどうあるべきかを問いただすものなのかもしれません。少なくとも、わたくしが受け取ったのはそういうことでした。

戦争も知らない世代ですが、人としての誇りは失わずにいたい。

(いっそ四季のサイトでもつくりますか/苦笑)

劇団四季については、個人的にも様々なことを感じますが、一つの『伝達』という行為は、わたくしたちが普段忘れている何かを呼び覚ますのかもしれません。むしろ、この『伝達』という行為が、一部の人間に限らず一人一人が出来うるそういう世の中であって欲しいと切に願う次第です。

(……ひとまずの了)


……というわけで、今日は長くなりました。連日の政治と、社会と、そして戦争と、人種と、わたくしたちは、いつの間にか『豊か』という言葉をはきちがえて生きてきたのかもしれません。
悲しみは尽きることを知らないけれど、
嘆くだけで終わりたくはない。

立ち向かうだけの力を、
生き抜くための誇りも。

祈りを実現するだけのちからを。

あきらめず立ち向かい、見極めるちからを。

求め、今日ももがいていく。


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