×××こぉんな日××× |
2005年01月12日(水) +++ ファイト ◎ +++ 震災10年を迎えるにあたって 神戸では色々な追悼式展が行われてます。 見た目には 復興した街なみだけど やっぱり心の中には 深いヒビがあるのは事実で 震災で倒壊しなかったビルや建物のヒビを見るに付け 心のヒビもピキピキときしむことがあります。 震災がなかったら・・・なんてことは もう何千回も考えたことだし スマトラ沖の地震や新潟の地震を見ると 色んなことを思います。 今朝の新聞に こんな記事がでていました。 ヤマハが終わってから見て帰ろうと思っていたら 思わぬ人から電話が。 それは 以前私がお世話になったこのホテルの部長さんからでした。 今は東京に戻られているんだけど お年賀状を出して近況報告をしています。 震災の2ヶ月前に 父が亡くなり その後すぐに実家が全壊で立て直しを迫られ 加えて演奏の仕事がなくなり レッスンの仕事もなくなり さらに 痴呆の激しくなった祖母と結婚を目の前に控えた妹を目の前にして 「さて どーしよう?」と考えていた時にも わざわざ連絡先を調べて 心配して電話を下さった方です。 家の再建が決まり ばたばたと心穏やかでなかった時には 「震災チャリティーで中村紘子さんのコンサートがあるから チケットを用意して おくからお友達とたまには ゆっくり音楽でも聴きなさい」と声をかけて 下さいました。 この絶妙なタイミングは ホテルマンだからと言う職業柄だけのものでは 決してないはず。 そのチケットと共に添えられた手紙の最後には 「どんな状況におかれても 新たな道を求めて一歩踏み出す 勇気だけはうしなわないようにしたい。そうしてそこから また一歩また一歩 自分で自分を励ましつつ歩みつづけよう。そうした態度を貫く限り ”きっと今に”という決意はやがて実を結ぶでしょう。お互いに頑張りましょう」 と書いてありました。 この手紙は 今も私が何時でも取り出せる場所に置いてあり 凹んだ時の カンフル剤です。 そのI部長さんからの思わぬ電話にびっくり。 陽菜の話しや 近況を報告した後にクリスマスの頃 結婚式で神戸にいらして ホテルに泊まったけれど仕事が少ないようなのでどうしているかな?と思った と言うような事をおっしゃり 嬉しく思いました。 あぁここにも気にかけてくださる方がいたんだ。 ヤマハ時代の大先輩も「あなたのことは いつも気にかけている。何があっても 1人じゃないんだって思って。」とお誕生日のメッセージに書いて頂きました。 そのことも どれだけ 私の支えになっているか計り知れない。 ネットのお友達もそう。 少し調子が悪いな?と察知すると メイルや電話をくれたり・・・。 掲示板に一言残してくれたり。 とてもとても距離があるのに 温もりを感じるのです。 人は決して1人で生きているのではないと言うことを 強く強く思います。 そんな想いを抱きながら 陽菜と見つめた「ファイト」と言う文字。 ありがたいなぁ。としみじみと眺めました。 |