×××こぉんな日×××

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2001年11月15日(木)    +++かきめし+++




  父が亡くなって 7年目。
  先日 癌で亡くなった方のドキュメンタリーを放送していた。
  痩せて痩せて やせ細って行く様が 父と重なり 寂しい懐かしさと
  少しずつ 元気な頃の顔や 容姿を忘れて行ってる自分を見つけ
  心が熱かった。
  ひなが「哀しいお話やね。パパとママは死なないでね。」と
  先に泣き出したので 泣かずにすんだが・・・。
  一人で見ていたら 泣き通しだったかもしれない。

  父は その年の3月に糖尿病で入院し 5月に退院したにもかかわらず
  癌を発見してもらう事ができず 具合が悪くなった時には
  すでに末期で 3ヶ月しかもたなかった。
  
  医者に 毎週通って 痛みを訴えていたのに 薬が変わったせいだとか
  気のせいだと言われ きちんと対処してもらえなかったようだった。
  
  そのうち そう言われるのが鬱陶しくなって きちんと症状を言う事を
  やめてしまい 我慢してしまったのかも知れない。
  
  長い長い検査の後 初めは肝臓癌だと言われていたのだが 
  実はすい臓癌から転移してしたもので 癌は 広範囲に広がっていることが
  わかった。手術はもうできなかった。

  あまりにも短い余命の宣告に 母と私と妹は 告知と言う手段を
  選ばなかった。
  その選択が 良かったのかどうなのかは 今もわからない。
  
  今回の番組で 自分の死への準備を 自分の思ったとおりにされた
  Tさんを見ると 父も本当の事を 知りたかったのではと思うのだ。
  
  人生最大の大嘘をついた私は そのペナルティーとして
  あれで良かったのか?と言う問いの答を ずっと探す事になる。

  B級グルメの父に 舌を育ててもらった私と父の最後の思いでは
  やはり食べ物にある。

  9月末に再入院してからは 食事はもちろん水さえ満足に飲む事が
  できず 2ヶ月を過ごした。
  ただひたすら 体に良い水を頂きに ほこらに通い水を運んだ。
  
  亡くなる4日前に「乳ボーロやったら 食べれそうやから買ってきて」と
  言われ 売店に行った。
  
  袋を探しながら あんなに食べる事の好きな父が
  こんな物を 欲しがるなんてと哀しかった。
  
  その気持ちを 悟られないようにとの小道具に
  私は ハーゲンダッツのアイスクリームを買って帰った。

  もう骨ばかりの手に 乳ボーロを渡すと あんな物が美味しいとは
  思えないのに「おいしいおいしい。」と言って 食べていた。
  
  私のアイスを「ちょっとちょうだい」と言って2.3口食べて
  また「おいしい」と言って喜んでいた。

  私が 父と交わしたまともな会話は これが最後になった。
  
  ひなが 産まれて離乳食が始まり 乳ボーロをおいしそうに
  食べる姿を見た時に それが重なり離れ また重なり・・・。
  
  ここで 元気な姿で 一緒に食べていてくれたら良かったのにと
  どんなに思ったかわからない。

  昨夜遅く かきめしを炊いた。
  
  冬になると 牡蠣の専門店で 食事会をした後 私達へのお土産に
  おりに入ったかきめしを片手に帰宅し 寝ている私や妹を起こしてまで
  食べさせた。迷惑な話だ。

  「スペルの後ろにERのつく月の 牡蠣はおいしいからなぁ」と
  口癖のように ほろ酔い気分で 傍らで言っていたのを思い出す。

  今朝 お坊さんのお参りがあり 実家へ出向いた私は お坊さんが帰られた後
  仏壇におそなえしてもらうつもりで かきめしを持っていった。
 
  「パパは かきめし好きやったねぇ。」と言う母に手渡し 
  何も言わなくても おそなえしてくれるだろうと思いながら帰宅した。
  
  しばらくたって やはり気になったから 電話をし
  「さっきのかきめしさぁ・・・」って 話しかけたら すかさず言われた。
  「おいしかったわぁ・・・すぐ食べたよ」と・・・。
  
  全く・・・。美味しいものは 美味しいうちにと言う父の信念から
  行くと 母の行動は正しかったかもね。
  
  理事長と二人で大笑いした 父の命日・・・。

  




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