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■ +ファイターと呼ばれたい+
ミハエル「第二のキャリアで負ける意味を知った」 http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=44295
AUTO SPORTS Webに載っていた ミハエルの「ガセッタインタビュー」が、凄い。
会社でEvernoteにクリップして iPhoneで気がついたら繰り返し読見返すほどに。
見出しは「負ける意味を知った」となってるけど 私的にはミハエルのカムバックした3年間というのは 「そういう感じ」ではなくってなぁ。
でも、何か「じーん」ってしたのは最後の所。
どういう存在として人々の記憶に残りたいかと聞かれ、シューマッハーはこう答えた。「皆が僕をレース界の伝説と呼ぶ。でも僕自身は、決して逃げることがなかったファイターと呼ばれたい」
此処ですな。
2006年。 コースレコードを出して。 スタートダッシュからの独走で。 そして白煙と共に消えた、ミハエルの日本GP。
落胆しきるメカニックを チームスタッフを、全て悟ったように 穏やかな顔で抱きしめて、背中を叩いてた。
その時、私の知るアゴヲタさんは 「メカニカルトラブルなのに何でっ怒らないんだよっ!!!!」 「なんで不機嫌にならないんだよっ」と絞り出して ミハエルが引退するんだと、実感したと言ってた。
私も、そう思った。 負けて尚、穏やかに振る舞うミハエルと 歓喜に沸くルノーとアロンソを見つめていた。
それで。 それで私とミハエルの日本GPは 生で見るミハエルは、終焉を告げるはずだったのに。
カムバックからの3年。 あの時のように、先頭を走ることは無かったけれど。 3年×53周 159周、帰って来てくれました。
最後のシーズンはポイントも取れない11位だったけど。 ラスト1周、チェッカーフラッグの瞬間まで 子牛のリカルドとの、抜きつ抜かれつデッドヒートバトル。
決して諦めないこと。 バトルの手綱を緩めないこと。 23番グリッドから、順位を上げ続けて アレだけ安定しないマシンと、格闘していたこと。
ぜーーーーーーーーんぶひっくるめて 「ミハエルは、F1が好きで」 「闘いがバトルが好きで」 「ドライバーズサーキットで燃える人」
ポイントは取れなくても 凄く良いレースだったよねっ(´;ω;`)
白煙バッドエンドよりは余程な!!!!
なーんてね。 笑顔で見送ったんだよ、鈴鹿で。 “ミハエルらしい”レースだったよねって(笑)
そこでさ、ご本尊に 「僕自身は、決して逃げることが なかったファイターと呼ばれたい」 言われちゃったら、あーた!!!!!
慎ましく、恭しく。 ははーっ、そう記憶させて頂きますっ!!!!! と、平に平に平伏しながらも
もうそう云う記憶になっとるわww と、鼻高くしちゃうんだぜ( ´_ゝ`)
なんかね。 嬉しかったのですよ、ワタクシ。 じんわり涙出てくる程度には、ねっ。
でも、この記事を10回くらい読み返したら Twitterにも書きましたけれどw
ASのミハエルインタをエバーノートに入れて10回くらい繰り返し読んでるんだけど。「ふたつの異なるキャリアを過ごした。そのひとつにおいてはすべてを勝ち取った」「皆が僕をレース界の伝説と呼ぶ」と何の疑問も持たずに言えるミハエルがすげぇよw という感慨に変わってきているw
に、なっちゃいました。 ナチュラル(ファッション)モンスターだぜ、全くw
2012年10月19日(金)
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