子どもの主体性


 過去 : 未来 : メール 2005年02月11日(金)


一人っ子で、小学3年生、姪は6月からスイミングに通っている。
小さい頃からよく風邪を引くので体を強くするためにという理由で始めたようだった。

ちょっと寒くなるとすぐに咳をし、いつも薬を飲んでいるような子だったので体作りのために水泳をするのはいい事だなぁと思っていた。
事実、今年の冬は風邪を引くことないみたい。

その子が最近スイミングを嫌がるようになったと言う。
スイミングの日はやたら遅く帰ってきたり、時間になっても逃げ回っていたりと・・・。

ある朝、姪は母親とスイミングの事で大喧嘩をして学校へ行ったのだとお義母さんが心配そうに私に話した。

姪は今までもピアノでも発表会の前になると「やめたい」と行ったりする子で、その度に大人たちが叱ったり、なだめたりして、ここまで続けている。

しかし、スイミングに関しては深刻なようだ。


「リホちゃんから何か言ってくれないかしら?」


へ?


「ほら。リホちゃんはスイミングでバイトしてたからいろいろ指導のこととかわかるでしょ?」

え?


私は小学校3年生からスイミングに通い、中学、高校と水泳部。大学の頃はスイミングでインストのバイトをしていた。
だから姪にアドバイスして欲しいというのだ。

「何で?やめさせればいいやん。嫌がって練習したって上達しないし、今どうしてもやらなくちゃいけないことじゃないんでしょ?またやりたくなったらやればいい。」


「嫌だから止めるなんてこれからの教育上良くないわっ。」


あ〜そうですか。


メンドクサイ・・・・


結局私は今日子ども3人連れて近くの温水プールに行った。

何ていい人だ。(自爆

温水プールでは二時間も楽しんでしまった。
私も久々のプールでガンガン泳いでいた。
ジャグジーも、温泉もあるし♪
子ども達は・・・・そっちのけ。(汗


帰りにアイスを食べながら姪に話を聞くと

「プールがすごく深くなって、先生も怖い。」



「そっか、理由があるんだね。それじゃ、ちゃんと向き合ってお母さんやお祖母ちゃんに話さないとダメだよ。喧嘩しながら話したって伝わらないよ。私はあなたにやった方がいいとも、止めた方がいいとも言わないよ。自分で決めなくちゃ。」

「だって言っても、いっつも”がんばれ、がんばれ”って。」


「本気なら私が言ってあげるよ。」


「・・・・・・」




確かにすぐにあきらめるなんて良くない事かもしれない。
それを乗り越えたら大きく成長できるんだと教えるのも大事なことかもしれない。

姪の場合、6ヶ月間のスイミングでフォームは綺麗でずいぶん上達している。今日は一杯褒めてあげた。

今、彼女自身が「できるようになった」と自覚し「やったからできたんだ」という自信を感じていれば「これからもがんばろう」と自然に思うはず。

でも、今の彼女はただ目先の辛いことを避けるだけ。
で、「親が行けというから」行く。
最終的には「親のため」に仕方ないから行くと子どもは思う。

それがいい事なのかな?わからない。





習い事って時として『親のエゴ』を押し付けることがあるのも事実。

大人はどこまで『子どもの主体性』を認めるべきなのだろうか。







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家に送ると、お祖母ちゃんとお母さんが待ち構えていた。


「どうだった?」

と姪のご機嫌を取るように聞いている。




私は気づいた。


何で大人が子どものご機嫌をとるの!?


あなた達がそういう子どもにしたんです。


私にまわさないで!

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