| 2006年01月02日(月) |
東野圭吾「容疑者Xの献身」 |
30日の夜に読み始めて、31日までに半分くらい読んでいたのを、 昨夜から今朝にかけて読み終えた。 読み始めたら、読みたい読みたいという思いに突き動かされて、 短い間隙にもほんの数ページでも読み進めたくなる。 数学者の築いた綿密なトリックと、彼に敬意を抱く物理学者の推理。。。 実に緊迫したドラマだった。
確かに、「このミステリーがすごい!」である。 「半落ち」もそうだったけれど、事件やトリックの解明もさることながら、 人間の心の謎に迫っているところが大切なのだ。
「身体を拘束されることは何でもない、と彼は思った。 紙とペンがあれば、数学の問題に取り組める。 もし手足を縛られても、頭の中で同じことをすればいい。 何も見えなくても何も聞こえなくても誰も彼の頭脳にまでは手を出せない。 そこは彼にとって無限の楽園だ。 数学という鉱脈が眠っており、それをすべて掘り起こすには、 一生という時間はあまりにも短い。 誰かに認められる必要はないのだ、と彼は改めて思った。 論文を発表し、評価されたいという欲望はある。 だがそれは数学の本質ではない。 誰がその山に最初に登ったかは重要だが、 それは本人だけがわかっていればいいことだ」(P343)
「花岡母娘と出会ってから、石神の生活は一変した。 自殺願望は消え去り、生きる喜びを得た。 2人がどこで何をしているのかを想像するだけで楽しかった。 世界という座標に、靖子と美里という2つの点が存在する。 彼にはそれが奇跡のように思えた。 日曜日は至福の時だった。 窓を開けていれば、2人の話し声が聞こえてくるのだ。 内容までは聞き取れない。しかし風に乗って入ってくるかすかな声は、 石神にとって最高の音楽だった」(P344)
「彼女たちとどうにかなろうという欲望はまったくなかった。 自分が手を出してはいけないものだと思ってきた。 それと同時に彼は気づいた。数学と同じなのだ。 崇高なるものには、関われるだけでもしあわせなのだ。 名声を得ようとすることは、尊厳を傷つけることにもなる。
あの母娘を助けるのは、石神にとって当然のことだった。 彼女たちがいなけれは、今の自分もないのだ。 身代わりになるわけではない。これは恩返しだと考えていた。 彼女たちは身に何の覚えもないだろう。それでいい。 人は時に、健気に生きているだけで誰かを救っていることがある」(P345)
こうだから尚のこと、我々読者はこの作品のラストで泣かされてしまうのだ。
昨日の収穫の勢いで、文字色のツールも使ってみた。 なぁんだ! どうしてこんなことに今まで気づかなかったんだろう。
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