きょうは勤労感謝の日であるが、勤労を恨めしく思う日である。 つくづく国語の教員などになってしまったことを後悔する毎日である。
きょうは試験作りに専念するはずだったのだけれど、 火曜日の高文連の会議の資料も作らねばならなかったし、 残りの授業の準備をもう少ししなけれななら亡かった。 一番きらいな試験作りから逃げていたところもあるかもしれない。 この忙しいのに、昼にはコンビニ弁当買いに自転車でぶらぶら出かけたり、 夕方には風呂場の大掃除に専念したり、、、困ったものである。
「舞姫」のモデルのエリスと鴎外の関係について、 十数年前に調べたことがあったが、記憶が曖昧なので調べてみた。 「舞姫」のエリスは、豊太郎が帰国する予定であることと、 相沢に「エリスと別れる」約束をしていたことを聞いて発狂した。 豊太郎は、そのエリスを置いて帰国する。 現実のエリスは、鴎外が帰国した数日後に追いかけて日本にやって来た。 鴎外の母や、妹の夫に懐柔されて、円満にドイツに帰って行ったようだ。 その辺の事情と、豊太郎に施された脚色を確認してみたかったのだ。
文久2 鴎外誕生。4人兄弟の長男。母峰子17歳。父も健在。 [豊太郎は一人っ子。母30歳前後。父死亡] (長男として一家の期待を背負っている点は同じ) 明治7 12歳 東京医学校(東大医学部)予科入学。 (入学は普通は14〜19歳。生年月日を2年詐称した) 明治14 19歳 28人中8番で卒業。 文部省からの官費留学を希望したが、 卒業成績が2位以内でないと資格がなかった。 陸軍省に就職。 (父の縁故で軍医として就職。自分の意志ではなかった。) 明治17 22歳 軍医として留学。[豊太郎の母は50過ぎ] (母は39歳。自分と家の名誉のためであることは同じ) 母は健在。留学生仲間とはうまくやる。エリスも出てこない。 明治21 26歳 鴎外帰国。[27歳で帰国](「舞姫」より一年はやい) 9. 7 鴎外帰国。 9・12 エリス来日。 母と妹の夫を中心にエリスを説得する 10.12 エリス帰国。 11. 7 海軍中将赤松氏の長女登志子と婚約。 (婚約は帰国前から決まっていた。) 明治22 27歳 1月 執筆活動再開。 3. 6 登志子と結婚。 (母峰子の計画通り。養子ではないが赤松家の持家に移る。 赤松家の老女、女中、鴎外の弟二人、妻の妹と同居。 赤松家主導の生活) 明治23 28歳 1月 「舞姫」を『国民之友』に発表。 9.13 長男於莵(オットー)誕生。 10. 4 家出。 11.27 離婚。 (性格の不一致。家柄の違い。美人でない。 母も登志子を気にいっていなかったという説もある) 明治35 40歳 判事荒木氏の長女志げ(22)と再婚。 (「美術品らしき妻」という程の美人)
ちなみに、鴎外が最初の妻との間にできた子につけた名が於莵(オットー)、 再婚した妻との間にできた子どもたちにつけた名が、 長女茉莉(マリ)次男不律(フリッツ)次女杏奴(アンヌ)三男類(ルイ)、 なかなか洒落た男だけれど、不律って字はまずくない?
その子どもたちの誰の文だったか忘れたが、鴎外が死ぬ少し前に、 エリスの手紙と写真を目の前で焼かせたという話を読んだことがある。 エリス帰国後も、しばらく文通を続けていたと言うのである。 今それを確かめようとしても見つからないので確かなことはかけないのだが、 鴎外に取ってのエリス(実名はエリーゼらしい)を考える上で、 実に興味深いエピソードだ。
大正11 61歳 9.7 死去。
|