今朝は晴れた。 久しぶりに晴れた。 雨上がりの晴れというのはいつでも感動的なものであるが、 じとじとじめじめした日が何日か続いた後の晴れはいっそう意義深い。 今は乾燥機や除湿機やエアコンなどで、洗濯物でも布団でも、 強引に乾かそうと思えば乾かせるけれど、一昔前まではそうはいかなかった。 一昔前までの主婦たちにとっては、何日も湿気に塗りこめられて、 ようやく晴れたその日は、嬉しい洗濯日和、布団干し日和だったはずだ。 梅雨の合間の晴れというのは、 閉ざされた世界からの解放のような感動的な陽ざしであったにちがいない。
平安時代も、雨は嫌われていたのだろうか? 清少納言が、夏のことを書いたときに、「雨など降るもをかし」と わざわざつけ足したのは、その証拠のひとつになるだろうか? 「長雨」に閉ざされている日々は「眺め」の日々でもあった。 雨が、通ってくるはずの恋人の足を遠のかせ、 逢いたくても逢えず、物思いにふけるしかない毎日。。。 長雨で物思いに耽っている間に、私の容貌も衰えてしまいましたよ、 なんていう歌もあったような気がする。 五月晴れは、そんな鬱屈した日々からの解放であったのかもしれない。
念のため調べてみたら、きょうは旧暦の5月29日である。 7月に入ってしまっているが、やはり旧暦ではまだ五月なのである。 明日は7月7日だけれども、本当の七夕はまだ5週間も先である。
五月晴れというのは、格別な感動を伴った言葉である。 しかし、こういう意味での五月晴れは、最近では死語になりつつある。 新暦5月の、青葉若簿の輝く晴れ、鯉幟の似合う晴れ、 あれも確かにそれなりに印象的な晴れではある。 五月晴れはだんだんとこちらの晴れを表す言葉に移行しつつある。 しかし、梅雨の合間の晴れほどの、意味深さはあるまい。 旧来の五月晴れという言葉はぜひ残してほしいものである。
|