TENSEI塵語

2005年06月21日(火) 日韓首脳会談

きょうの朝刊トップはこれだ。
小泉クンは、
「韓国民の方々の過去をめぐる心情を重く受け止めている」とか、
「率直にお互いの考えを述べあえて、実りある会談だった」とか言うが、
実は溝の深さを再確認するだけの会談だったようだ。
日中関係も日韓関係も、良好にするためには、靖国参拝をやめるしかないと、
彼自身もよくわかっているのに、彼には断じてそれができない。
ま、彼を首相としてまつりあげている限り、
日本は隣国とますます険悪な関係にならざるをえないということだ。

靖国問題については、もう今までに私なりの考えを何度か書いたので、
ここでいちいち繰り返すのはめんどくさい。
橋本BBSでは住人たちが実に綿密緻密な議論が続けているけれど、
そんなのも、もういい、って感じである。
どうしても疑問でならないのは、なぜ、
あんな挑発的な参拝を繰り返さねばならないのか、ということだ。
あれがあるからなおさら、会談での依怙地さが、信念でなく挑発になるのだ。

この会談について、島村農水相はこうコメントしたそうだ。
「断固として自分の主義主張を曲げようとしない首相はあるべき姿で賛成だ。
 おかしな譲歩をすれば、
 日本は『言えばいくらでもへこむ』という錯覚を与え、
 将来のためによくない」

確かに、言えばなんでもころころ変わる節操のない態度はいけない。
しかし、誰もかもが頑固で、お前の言い分がおかしいとばかり言っていたら、
それは対話でも議論でもないし、進展がないばかりか、喧嘩するしかない。
何としても自説を通すんだ、と依怙地になったら、
相手を永遠に理解することはできない。

日本の誇るべき平和憲法の貴い理念は、相互理解による平和なのだ。
人同士でも難しい相互理解を、国同士で努力する、
そのリーダー的役割を、日本がやらなきゃいかん、というわけなのである。
その国の指導的立場の連中が、喧嘩へ、喧嘩へと躍起になっている。
平和憲法は誇りだが、彼らは日本の恥だ。
曲げてならないのは客観的真実であって、自分の思い込みではない。
対話とか議論とかは、その客観的真理に近づくためにするものであって、
自説の正当性を押しつけるためにするものではない。

真に「韓国民の方々の過去をめぐる心情を重く受け止め」たなら、
その心情にかなうように行動しなければ、一歩も踏み出すことはできない。
「重く受け止め」ていると口先だけで言いながら、
こころでは「おまいらにまけてたまるか」だから、
韓国民も我々も、その幼稚さにあきれてしまうわけだ。
ま、心にもないセリフでパフォーマンスする嘘つき首相だということだ。
我々は恥じ入って下を向かざるを得ないし、
隣国の人々は、憎しみ混じりに横目でにらむか、
冷ややかにそっぽ向くしかなくなるわけだ。


ちなみに、私がディベートなるものを嫌う理由は以上の事情による。
教育現場にディベート指導なるものを持ち込もうとする動きがあるが、
あんな反教育的なものはない。
弁護士や判事を教育するには大切なものかもしれないが、
要は頑固と硬化を訓練する役割演技に過ぎないのだ。
人は対話を通じて、より広く豊かに成長しなければならないのに。。。


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