| 2005年06月04日(土) |
土曜の学校開放(2) |
土曜日の学校開放なるものは、施設の提供だけでいいはずである。 朝から自宅で勉強しようとしても気の散りやすい生徒たちのために。 1日中自室にこもって勉強するのはなかなかつらいので、 場所を変えて気分転換したい生徒たちのために。 教員は何のためにいるのかというと、監視と、質問・相談に応じるためだ。 生徒はひたすら独自の勉強をやっていればよい。
実は、一昨年これを始めたときは、自習形式をとったようである。 ところが、これが生徒たちには不評だったようである。 学校に来ても自習するだけなら来る必要がない、で崩れてしまったようだ。
それで、去年は補講形式を採用した。 生徒のアンケートによれば、概ね「ためになった」と好評だったようだ。 それとともに、去年から始めた夏休みの学習合宿も補講形式だったが、 これも「ためになった」と概ね好評だったようである。
本当に「ためになった」のなら、もっと受験に成果として出てほしいものだ。 こんな一過性の感想にだまされてはいけないのだ。 「ためになった」は、受講した生徒の率直な感想だとしても、 それは裏を返せば、自分ではほとんど勉強ができていないということである。 自分では何もできないから、講義を聴いて勉強できたつもりになっている。 で、片っ端から忘れてしまうわけである。 おそらく、学習合宿で「ためになる」勉強ができたつもりになった生徒の 多くは、それから補習が始まるまで休息状態に入ってしまったことだろう。 土曜の講座に出席して「ためになる」勉強ができたつもりになった生徒の 多くは、午後はもう安心しきって、翌日には講座の内容の半分以上も 思い出せない、月曜日にはその大半を失って新たな週を迎えたに違いない。
補習補習と大騒ぎで生徒を駆り立てるのが流行になっているけれど、 どんな生徒にもそれが有効かというと、そうではない。 それが有効なのは、自力勉強の習慣がついている生徒たちである。 そういう生徒たちならあえて補習で教える必要もなさそうだが、 残念ながら、そういう連中になら補習はいくらやっても有効である。 彼らは教わったことを自分の中に取り込む力をもっているからである。 こういう生徒はだいたい第一線の進学校に集まっている。 で、これだけの指導をしたからこれだけの成果をあげたなどと、 自他ともに認めるような結果が出たりするわけだ。
で、それを見て、どこの学校でも、補習だ、補講だ、と騒ぐ。 しかし、自力勉強の習慣をもっていない生徒が多い学校では、 たいていこういうものは自己満足で虚しく終わってしまうものだ。 補習を受けても受けっぱなしで、そのまま忘れ去ってしまうからだ。
だから、一番の課題は、自分で勉強する習慣を作ることなのだが、 こんな難しい課題はない。 土曜の学校開放や、夏休みの学習合宿こそ、このための時間として、 そのためには生徒にどう話をして、どう支援してやるかに知恵をしぼるべき なのに、すぐに安易な方向に走って徒労を増やしているのが残念だ。
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