「マグダラとヨハネのミステリー」を読み終えた。 思い出すままざっとまとめると、こんな風になる。
イエスは、ヨハネ教団の一派、ヨハネの弟子のひとりであった。 ヨハネは、聖書にも洗礼者として登場するが、 この洗礼という儀式は、そもそもユダヤ教の中にはないものである。 ヨハネもイエスも、ユダヤ教の伝統の中で活動したわけではないし、 ユダヤ人であったかどうかも疑問である。 福音書に娼婦として登場するマグダラのマリアは、 神の力を持つとみなされた男に神としての完成をもたらす 神性婚姻の担い手である女祭司だったらしい。 イエスに塗油したマリアというのはこのマグダラのマリアであり、 塗油というのは神性婚姻の象徴である。 そもそもキリストという言葉の原意は、塗油された者という意味である。 この信仰は、エジプトのイシス信仰と共通している。 イエスは若い時期をエジプトで過ごし、そこで魔術を修得した可能性が強い。 あの当時は、メシアを名乗りながら魔術を駆使する者が そこら中にいたようである。 磔刑前後の、塗油から復活に至るイエスの死の過程は、 マグダラのマリアとイエスによる、神への道への演出であった。 こういう事情は、聖書編纂時に異端とされ、排除・隠蔽された、 グノーシス派(主に)の文献を検討する中で浮かび上がってくる。。。
こんな大ざっぱな解説を、もしも問題意識のないときに読まされていたら、 不気味なオカルト話を読まされているくらいにしか思わなかったことだろう。 しかし今は、もっとこの点を追究したい思いでいっぱいである。 若い頃から聖書を読むたびに釈然としなかったことがいくつもある。 聖書がよりわかりやすく見えてくるような感じがする。
しかし、こうして見てくると、新たな深い疑問にとらわれてくるのである。 「汝の敵を愛せよ」は誰のことばだったのか? どこから来たのか? そういう疑問を抱きながら読んでいたが、とりあえずこの本では、 イエスの言葉として片づけてあった。
引き続き「イエスの墓」という本を読み始めた。 しかし、明日・明後日は県大会の運営、そしてその後、 県代表選考会の準備と運営、と、忙しい日が続くので、読めないかもしれない。
|