3日ぶりで新聞を読んだ。
小泉クンも年金を払ってなかったことがあるそうだ。 そうだろうとは思っていたけれど、、、 本人は義務化以前だから問題なしと割り切っているようだ。 年金資金が足りない、このままだと将来困るから制度を改革しようと 国会で審議されているが、その原因は、資金の運用の大失敗と、 政治家でさえ納入をいい加減にしてきたという長い実績である。 資金運用の無駄遣い的失敗は、本来首括るべき犯人が何人もいるはずだし、 国の政治に直接携わって高額の給料を得ている人たちでも、 資金の確保に努めて来なかったという無責任を非難すべきだが、 そういう人たちも加わって、そうした実態を棚の奥深くにしまい込んで、 よく知らない制度についての制度改革を法として作ろうという、、、 何ともおかしな話ではないか。 よくわかってない人が、法律を作るのである。 なんとも不思議な話ではないか。
サマワで地元の軍とオランダ軍の銃撃戦があったそうだ。 まだ政府の認識では、サマワは非戦闘地域なのだろうか? 私は、イラクには未戦闘地域はあっても、非戦闘地域などないと思ってたが。。。 わざわざそんなところに武装した日本人をどやどや送り込むのは 火に油を注ぐようなものだと危惧していたら、あの人質事件が起こったのだ。
他にもあったように思うが、新聞をここに持ってきてないので思い出せない。 しかしそれよりも、きょう届いたメルマガから貼り付けておこう。
・・・・・・・・ 14日、世話人会を代表して、小川泰寛(北大)と醍醐聰が 今井さんご一家とお目にかかることになり、札幌へ出かけました。
驚いたことに到着すると、その場にすでに高遠さんご本人が弟さん、 友人の方と連れ立っていらっしゃり、思いもよらぬ対面となりました。 高遠さんはこれが帰国後初めての外出だそうです。
今井さんのご家族、支援者の方(3名)がそろったところで、 世話人から、「会」がこれまで取り組んできた署名・募金活動のこと、 外務省へ質問書を出したことなどを報告しましたところ、 先方の皆様から丁重な感謝の言葉をいただきました。
その後は打ちとけた歓談となりましたが、 ひときわ輝いたのは、ほかでもない高遠さんの熱弁でした。 特に、話に熱がこもったのはイラクで拘束中に武装勢力と交わされたという平和論、宗教論でした。 インドに入って非暴力主義を学ばれた経験から、武装勢力に向かって、 「なぜ、あなた方は対話による平和を目指さないのですか」と しばしば激しい口調で詰め寄られたそうです。 そばで聞いていた今井さんも 「あのときの高遠さんはすごかった」と振り返っていました。
「イラクの人に、日本は50年非戦を通してきた、 インドにも非暴力主義っがある。 こういう世界の現実をあなた方は知っているのですか」と質すと 反発するどころか、もっと知りたいと近寄ってきたとのこと。
高遠さんの口をついて出た、 「人道は怒りを持ってやってはいけない、許しの気持ちを持ってやるもの」 という言葉は、活字からではなく、 自らの体験で培われた信念ならではの迫力を感じました。
そのお姉さんの話を横で聞き入りながら、時折、私たちが届けた 賛同者の「メッセージ集」に食い入るように目を通される弟さんの姿も印象的でした。
最後に醍醐から、次のような言葉を述べて、皆さんと別れました。
「高遠さん、今井さん、お二人は自分の人道活動が イラクの人々に理解されて解放されたのです。 その意味ではお二人は自分の身を自分で守ったのです。 これこそ自己責任を果たしたということです。 もちろん、無事に帰国できたのは内外の多くの方々の 支援があってのことですから、感謝は必要と思います。 しかし、これ以上の謝罪は不要です。 どうか、胸をはって、マイペースで休養してください。」
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