今夜は飲み会から帰って来たところだが、酩酊に負けず書こう。
一昨日も話題にした「反日的分子」発言について、 朝日の社説が実によい意見を書いてくれている。
・・・・・・・・ 昨年10月の朝日新聞の世論調査では、 自衛隊をイラクに派遣することに半数以上が反対した。 今年4月の調査でも、撤退すべきだという意見が3割を超えた。 こうした人たちもみんな「反日」ということになるのか。
賛否はどうであれ、国民がイラクの行方を心配し、 自衛隊派遣の是非を論じ合うのは、日本と世界を思ってのことである。 国会でイラク戦争や自衛隊派遣について論議するのも、 日本の正しい針路を探り、間違いない判断をするためだ。
政府の方針と違う考えの人たちを「反日」と決めつけ、 排除するようなことでは、民主主義とはいえない。 そんなことが国会議員にわからないのか。
(中略)
作家の陳舜臣さんは 「日本の大きなプラスだ」 「3人に感謝しなければならない」と朝日新聞に書いた。 そんな見方もあるのだ。
昨年、外務省の審議官宅にガスボンベが置かれるなどの事件が起きた。 一連の犯行声明には「国賊」や「売国奴」と書かれていた。 「反日」もそれらと同じようにテロに結びつきやすい言葉であることを 忘れてはいけない。
柏村氏は人質になったことを「反国家的」「利敵行為」とも述べた。 まるで戦時体制のような言い方だった。
「反日」発言については野党議員から「不穏当」との指摘があった。 官房長官もさすがに「不適切」と語った。
一議員の暴言にすぎないかもしれない。 だが、その発言を生み出すような空気が今の社会にありはしないか。 与野党を問わず、国会議員はよく考えてほしい。 そして大いに意見を言ってほしい。 ・・・・・・・
もっとも私がうれしく思ったのは「賛否はどうあれ」で始まる段落である。 こんなすばらしい国土と文化を持ち、すばらしい憲法を持っているこの国を 愛するからこそ、こうすべきだ、こうであってほしいと、 意見を言ったり、何らかの行動に駆り立てられたりするのである。
一議員の暴言にすぎないかもしれないが、 おそらく彼の仲間内では日常会話なのだろう。 だから彼は、暴言とはゆめにも思わずに大いばりで演説をぶったのである。 英雄的陶酔に酔いしれていたかもしれない。 あらゆる角度からベストの選択をしているみたいな宣伝をしているけれど、 彼らの了見は案外狭いのである。 こうしたい、と思ったら、もうそれしか見えなくなってしまうのだ。
そもそも、彼らにとって、「自由民主」の「民」とは政財界の「民」で、 いわゆる「国民」と定義づけられている我々は、 彼らにとっては、家畜みたいなものでしかないのだ。 とりあえず憲法に定められたシステムの体裁を整えるための家畜である。 選挙の時だけは「国民のみなさん」という言葉で呼びはするが、 うまくてなづけておけば、まあ大半はすりすりしてくるだろう、ぐらいの、 やっぱり家畜程度の存在に過ぎないのである。 だから、何か腹にすえかねぬような事態が起こると、 俺たちのいうことに従わないやつはどうしてくれよう、ということにもなる。
きょうは、年金の新法案を何とか委員会で、与党だけで可決したそうだ。 今までの年金制度をよく知らないか、知っててズルしていた連中もいる、 そんな中で審議できるのか、と我々は思う。 同じ思いかどうかは別にして、野党がそのあたりを明確にしようとしていた。 それも無視し、今までの自分たちの仲間の年金運用の失敗も棚に上げて、 尻拭いはすべて「国民」という名の家畜どもにさせればいい、というわけだ。
「自由民主」という甘言にだまされ続けている人々が投票し続けるので、 こんな世の中になってしまった。
人質解放後の外相川口の会見を聞いたとき、 イラクの人たち・子どもたちのことなんか放っとけ、という印象で、 政府の感覚としては、もうイラクは「敵国」なんじゃないかな、と恐れたが、 「反日的分子」発言を聞くと、彼らの感覚ではもう今は「戦時中」なのではないかと思わされる。
|