橋本さんのサイトでこの人を紹介していて、興味深かったので、 メルマガを読みに行ってみた。 バックナンバーはすべて公開されているようだから、送信契約の必要はない。
きょうのメルマガでは、阪神大震災の時の若者のボランティアのことから 話が始まっていた。 100万人以上の若者がボランティアで被災地にかけつけたあの時、 浅井氏らは、自己完結と活動記録を呼びかけに被災地に入ったそうである。 「自己完結」とは「自らの身の安全から衣食住全てを自分で管理すること」。 こういう呼びかけが次第に浸透していって、 その後、全国的なNPO活動が震災前とは比べものにならないほどの 規模・機能・役割を持つようになったという。
それに続く文章を読んでいるうちに、次第に涙ぐんでしまった。 こういう風に生きてきた人でなければ、こんな風には書けまい。
・・・・・・・・・ それにしても、この100万人を超えるヴォランティアたちと、 今回人質になった高遠さんらと本質的にどこに違いがあるのか 私にはいっこうに理解できません。 「神戸」に駆けつけた若者が称賛され、 高遠さんたちは「自己責任」という言葉と共に袋叩きにされました。 確かにイラクに出かけた「イラク組」は、危機管理に問題がありました。 しかし、それでは彼らが危機管理面で「神戸組」に劣っていたかというと、 そんなことはありません。 2組の違いは、政治が絡んでいたか、いやこの際です、はっきり言いましょう。 「お上にたてついたかどうか」の一点です。 それ以外は、基本的には大きな違いはないのです。
いやイラクと神戸、戦争と震災を同列に置く事自体がおかしい、 と言われるかもしれませんが、思い出してください。 阪神大震災の時、焼け落ちる建物や崩壊する家に ヴォランティアが飛び込んでいきました。 幸い死者は出ませんでしたが、負傷者は出ています。 また、幸いにして起きませんでしたが、 大きな余震が起きる危険性が叫ばれていました。 もし、大規模な余震があったらヴォランティアにもかなりの犠牲者が 出たことでしょう。 大災害でも戦場と同様危機管理が必要です。 安易な気持ちで被災地に飛び込んでいけば、 二次災害が起きることもあるのです。
若者が熱意のあまり突っ走るのは、いわば当然のことです。それは、若 者の特権であるといってもいいでしょう。その若者のほとばしる情熱が歴 史を変え、新しい社会を作ってきたことは、誰一人として否定できないは ずです。若者が情熱の発露として行動を起こし、それが結果的に失敗に終 わったとしても寛容に見てやるべきです。俯瞰した視点で助言を与えるこ とは必要ですが、寄ってたかって袋叩きにするなんぞはもっての外です。 今回の事件のように、政治家や役人が、それこそ自己責任から逃れたくて 苦し紛れに言った「自己責任論」の尻馬に載って野次や罵声を上げていた 人たちは、一度冷静になってその辺りを考えてみるべきです。為政者とい うのは、失政をして都合が悪くなると、マスコミなどをうまく使い、スケ ープゴート作りをして失政から国民の目を逸らそうとします。今回の小泉 さんがまさしくその典型です。でも、今回の人質事件の後に行なわれた世 論調査では、小泉さんは人気を挽回しています。
かつては欧米人に対する下らない劣等感もあって尻込みしてた日本人ですが、 そんな卑屈な劣等感を微塵も感じさせることもなく、欧米人に伍して 修羅場で救援活動をやろうという若者が出てきたことを なぜ素直に喜べないのですかね。 欧米人に英語で話しかけられるとお愛想笑いをする「若くない者」の時代は 終わりつつあるのです。 若くない者はそれではどうしたら良いか。 ズバリ、若者が暴れられる場を提供してやることです。 その際、大局的に見て助言や叱責が必要であれば、 頭ごなしに叱るのではなく一緒になって考えてやるのです。 また、間違っても、最終的な責任を彼らに求めてはだめです。 身体が動かない分、若くない者はカネと責任負担をすればいいのです。
私はかつて、ジャーナリストの大先輩である岡村昭彦さんから 「3人の兄(姉)貴を持て」と言われました。 私は幸運にも何十人もの先輩に育てられました。 勿論育てられっぱなしではそれで終わりです。 継承していかなければなりません。 彼の言葉を裏返せば「3人の弟(妹)」を持て」、 つまりは、後輩を育てろということだと思います。 今日本では、あちこちで我々「団塊の世代」と後輩達の間で 世代間格差が表面化しています。 それは、いつまでも我々の世代が、「現役」にこだわっているからでしょう。 肝要なのは、いかに後継者を育てるか、です。
若者が失敗を恐れて冒険をしなくなったら社会は輝きを失ってしまいます 。 私はこんな情勢だから声を高らかに訴えます。 「若者よ、失敗を恐れず、荒野を目指せ!」と。
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