昨日になってふと思い立って、年賀状の番号を照合してみた。 照合する前は、今回くらいは1等も当たっているような気がするものである。 なーんとなくそんな気がするのである。 当たっていても何の不思議もないような気がするものである。 これは懸賞に応募する場合も同様である。 宝くじの場合でも同様である。 2、30枚買えば、億万長者はすぐ目の前というような気がするものである。 とにかく、当たっていても何の不思議もないような気がするのである。
けれども、10枚、20枚と見ていくうちに、問題外!!という気分に 変容し、次第に目の前にあった1等は、宇宙の彼方へと飛び去ってしまう。 けれども、根気よくはがきを照合し続ける。 通し番号ではない、ばらばらの番号だから、ぽこっと当たりが入っていても おかしくないからである。 けれども、目の前の数字は相変わらず見当違いのところを飛び回っている。 結局、最近メール年賀に切り替わって減ったとはいえ、 80枚ほどある私個人宛の年賀状のうち、切手シートの当たりが2枚である。 下2ケタだけ一致したのが40分の1である。 去年も今年も、確率としては最低レベルである。 10枚ほど白紙のまま残っていた年賀はがきも照合してみたら、 切手シートが1枚、レターセット(下3ケタ)が1枚あった。 こちらは5分の1である。
それにしても、1等への道の何と長いことか。。。 割とまじめに年賀状のやりとりを始めてから20年余、 ほそぼそと始めてから40年、下3ケタまでしか当たったことがない。 4ケタ以上当たるまでには、あと何百年? 何千年?
いや、そうではない。 1等は常に目の前にあると同時に銀河の遙か彼方にもある。 1等はどこかにある、それが自分の家の中に舞い込むこともあるのだ。 それがたまたま大はずれで、長年過ぎているだけのことである。 100枚のうち99枚が問題外でも、1枚だけが1等で何の不思議もない。 照合するたびに、当たりは銀河の彼方に消えてしまうのだけれど、 喉元過ぎて忘れてしまえば、目の前に帰ってきてくれるわけである。 だから多くの人が性懲りもなく、宝くじの夢を買い続ける。
まぁ、お年玉年賀状の不振は、 今年の運をまだ使い果たさないでよかったと思うことにしよう。 ちなみに私は宝くじを買ったことがない。 億万長者を夢見ないでもないし、目の前にありそうにも思うのだが、 紙切れの束に何千円、何万円とつぎ込む気がしないからである。
|