TENSEI塵語

2004年01月18日(日) 「砂の器」

連ドラで「砂の器」が始まった。
「白い巨塔」もそうだけど、過去に定番と評されるほどの映画やドラマが
あるのに、リメークしようというのは、何らか勝算があるからだろう。
前作をどのような形で凌ぐのか、実に興味深いところである。
「白い巨塔」は、田宮二郎のドラマの方は見ていないけれど、
映画の方と比べると、今のドラマはかなりうまく行っているようだ。

連ドラ版「砂の器」は、どういう音楽家の役にするかな、と
第一の興味だったが、映画と同じくピアノ弾きで、
映画と同じく叙情的な「宿命」を作曲し、巡礼の旅と重ね合わせるようだ。
やっぱりこれで行くしかないんかぃ、って感じだが、
どんな映像と音楽になるのか、これもまた実に楽しみなところである。
映画では暗示的に過ぎなかった、和賀が過去を暴かれるのを恐れて
三木を殺してしまった、その隠蔽に苦慮し、捜査の手を警戒する中で、
どうしようもない思いから「宿命」のメロディーが生まれてくる様子が、
きょうのドラマ第1回では克明に、緊張感をもって描かれていた。
早くもちょっとだけ見せてくれた、「宿命」がバックに流れる巡礼の旅に、
早くもほろりと来てしまったのだった。

ただ、映画でもそうだったけど、こういう音楽家に設定すると、
たぶん、演奏会場面で、あまりの不自然さにしらけてしまうのである。
情緒的には、こういうタイプの音楽を入れたいのだろうけど、
演奏会の映像は、よっぽと気をつけないとドラマを台無しにしてしまう。
実際、きょうのチャイコフスキーのコンチェルトの場面も冷や汗もんだった。
こういう場面も、演出家たちには妥協してほしくないものである。
それにもうひとつ、和賀役の中居クンは、眼の演技はがんばってたけど、
セリフの練習をもっとしっかりやってくれないと困る。気が抜けてしまう。
このあたりも、演出家たちには妥協してほしくないものである。
せっかくじっくり入念に画面が作られているので、妥協したらもったいない。

これで、日9の「砂の器」、月9の「プライド」、木10の「白い巨塔」と、
週のドラマが3本になってしまった。
私としてはこれが連ドラのリミットである。
三谷くん脚本の「新撰組」も第1回は見そびれて、2回目から見ようかなと
思っていたのだけれど、もうやめることにした。


 < 過去  INDEX  未来 >


TENSEI [MAIL]