TENSEI塵語

2004年01月15日(木) 入試

明後日からセンター試験で、明日はたいていの学校が事前指導をし、
その後会場の下見に行かせ(該当生徒は出席扱いだし、他の生徒は自習だ)、
当日は2日とも、6、7名の先生が応援に行き、出欠確認をし、、、
生徒の個人的な問題に、どうして高校の先生がこんなに大騒ぎするのか、
例年のことながら、私には、ばっかみたい、としか思われない。
さらにばっかみたいなのは、指定校推薦などでもう大学が決まってるのに、
そういう生徒たちにもセンター受験を義務づける風習である。
そのメリットが何らかあるから躍起になってそうしているだろうけれど、
入試というものにそういう意味づけをしたのはいったい何だったのだろう?

前任校では3年生の学年末考査は1月の下旬だったけれど、
今の学校では新学期すぐに終わらせてしまった。
そして特別時間割に入った。
来週からはもう半日授業にするそうである。
あと1ヶ月は登校するわけだけれど、落ち着かない状態だし、
受験から解放されている者には実に中途半端な期間である。
しかも、2月に入ると多くの生徒が受験に出かけて、
継続した授業もやりにくい、プリント学習でおもりをするような状態になる。

だいたい、1学期にAO入試、2学期に推薦入試、
3学期も半分過ぎないうちから一般入試と、実に迷惑なスケジュールだ。
こういう日程のために、学校行事の日程も影響を受けるし、
学校も生徒のこの個人的な問題に必要以上に首を突っ込むことになる。

いっそのこと、大学は9月か10月から始めてほしいものである。
3月に高校生が卒業する。
指定校推薦だけは3月にやってもらってよい。
4月から6月の間に一般推薦なりAO入試なりをやって、
7月に一般入試を行えばよい。
漱石の「三四郎」を読んで以来、そんな風に考えるようになった。
大学生の就職活動だって、6月末にでも卒業式をやって、
その後、就職活動に専念させればいいではないか。
今より人生設計が1年遅れることになるけれど、1年くらい何だ。

だいたい、高校教育は大学入試に左右され過ぎである。
情けないほど大学入試に侵されているのである。
病的状態である。
もっと長い目で見れば、そのいびつさをすぐに反省できるはずなのに、
世間の目が近眼なために、教師も近眼にならざるを得ないようだ。


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