「激酷猛暑」で始まった2学期が、厳寒で終わった。 それは、それだけ長い期間だったはずだし、 実際の意識として、学校祭の9月などかなり昔の思い出に遠のいているのに、 あー長かった、というような、それほどの感慨はない。 1学期に比べて、かなり心身が慣れてきたからに違いないのだが、 それだけではなくて、自分としても何らか動き始めて、 一種の楽しみめいたものを感じ始めたためだろう。 担任としても、また古典の授業でも、長年躊躇していたことを実行し始めた。 まだまだこれといった明白な成果は出ていないけれど、 それらも何となくおもしろい感じがしているのである。
きょうは学年の忘年会だった。 教務主任も来ていたので、先日からちらちら考えているけれど、 具体的方法がなかなか見えてこないことをちょっと話してみた。 総合学習の時間に、イラク問題、さらには中東問題を扱えないか、という話。 教務主任が苦し紛れの案を作っているためでもあり、 彼が世界史の教員だということもあって相談してみたのである。 私自身は、この総合学習の時間をそう真剣にやりたいわけではないが、 何せ今年の1年生は、進路ばっかしである。 イヤになるほど、進路のことばっかしである。 そんなに大事なことかいな、と、自分の若いころを振り返って疑問に思う。 回り道をするのも大事な学習ではないか、と思うと、 なんか、必要以上に生徒を脅迫しているような感じにとらわれるのだ。 2年生用の計画案を見せてもらったときに、 今その内容をしっかり思い出せないのだが、同様の空しさを覚えた。 形骸化させるのが無理なのならば、 もうちょっと、知るべきことを知ることができるような時間にしたいものだ。
今のような時勢ならば、中東問題や年金問題に関心を持たせることも可能な ように思うし、そこから社会問題に目を向けさせられるような気がする。 新聞やニュースに関心をもつものも増えるかもしれない。 我々自身も勉強不足だし、、、いいんじゃないの? ともに学べば、、、 てなことを考えているだけでも、ちょっと楽しくなるものである。 でも、具体的にどうするかということになると、相変わらず濃霧の中である。
|