TENSEI塵語

2003年12月17日(水) 二者懇談

親と子と担任とで行うのを三者懇談、
親だけ、または生徒だけと行うのを二者懇談という。
学校は前々から三者懇談の方針でやってきたらしくて、
統一して配られる案内にも、三者懇談で行うと明記してある。
しかし私はそれを無視して、前回も今回も二者懇談で行っている。
生徒にも親にも、何でこのクラスだけ二者なのか、と問われることがある。
生徒には、めんどくさいから、とでも答えている。
生徒はただひたすら喜んでいる。

前任校ではどちらでもよかったので、基本的に二者懇談にしていたが、
三者懇談にしたこともある。
ある年に、夏休み前は二者で、冬休み前は三者で行った。
ほんの2、3例に過ぎないとはいえ、夏休み前には流暢に語った親が、
冬休み前には、実に遠慮がちで、ほとんどしゃべらない、
しゃべっても妙に警戒しているような慎重で形式的な発言、、、
こっちの調子も狂わされてしまう。
何日か経って電話をしてきて、先日は話せなかったことだが、、、と
いろいろと相談する親もいた。
これじゃ、何のために親に来てもらうのかわからない。
3年生になると、進路の具体的な話を相談するという懇談会になるので
三者懇談にしないとかえってめんどくさいことになるけれど、
1、2年生のうちはほとんどそんな必要性もない。
できるだけ、親としての率直な思いを聞いて参考にした方がいいと思う。

私自身は、担任として生徒が同席しようがしまいが、言うことは同じだが、
話すべき相手が2方向に分散されるので煩わしいと思う。
親として保護者会に臨んだときでも、我が子がいようがいまいが、
言うことも態度も変わらないので、
娘などは、家にいるときと同じだと言って妻よりも私の出席を望んでいたが、
内心は、三者懇談の方が多少窮屈に違いないのである。
自分が生徒だったころを思い起こすと、三者懇談は鬱陶しかった。

あえて三者懇談を指定する理由が私にはわからない。
学校というのは、とにかく人のいやがることを強いるところなのか、
と、皮肉な解釈もしてしまう。
確かに、親の意見を参考にして、生徒に言った方がいいことを、
その場ですぐに伝えることができるというメリットはある。
けれども、私の経験では、その時に生徒が「はい、わかりました」とか
「はい、がんばります」と言ったところで、
それが親を前にしての体裁を繕っただけだということは、
何日もたたないうちに証明されてしまうものだ。
表向きメリットがあるように見えても、実質はそうでもないものだ。

今までで、三者懇談でよかったと思ったのは2年生をもった時の一例だけだ。
1学期に3つほどの赤点(不合格点)をかかえ、
2学期の中間考査でも深刻な赤点を3、4個取ってしまった生徒が、
2楽器の成績としては赤点をなくしてしまった。
母親は、息子の低迷する成績をあきれたように非難してまくしたてた。
私は、こりゃまずい、と思って、
「彼にとっては今回赤点をなくすということを第一目標に努力したんだから
 その点だけは評価してやっていいんじゃないですか?」
と母親をたしなめた。
当の生徒は、声には出さないが、「そうです」と口を動かして笑顔になった。
母親は、先生もてっきり一緒になって子どもを叱ってくれると
期待していたらしく、心外だというように語気を弱めた。
母親はがっかりするように帰って行ったけれど、
3年生でもその生徒を受け持ち、保護者会で母親に会ったとき、
あれから自分でも考えを改めて子どもに接したら、
家のこともいろいろやってくれるようになったし、
将来どうしたいかも率直に話してくれるようになったと言って感謝された。
こんな一例ぐらいのものである。


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