| 2003年12月12日(金) |
アウシュヴィッツの傷跡 |
昨日のもくろみを実行に移した。 ちょっと遅くなった仕事帰りに、ちょっと時間的に無理をして、 PC屋に寄ってTVチューナーを手に入れて帰り、夕食後接続してみた。 PCでテレビも見られるなんていう事態はあまり現実的に想像できなかったが、その現実の光景が意外とあっけなく私の目の前で展開した。 ハードディスクへの録画なら、ほんのボタンひとつで簡単にできそうだ。 そこからDVDに録画するところまでは、まだやれてない。 そういう気にさせる番組がなかったからである。 けれども、実は夜中にそういう番組があったのだ。
このTVチューナーの機能をもう少し調べようと思って、 夜中の1時過ぎに起動してみたら、その本来の目的を忘れて番組を見続けた。 NHKで「死の国の旋律〜アウシュヴィッツと音楽家たち」をやっていたのだ。 アウシュヴィッツで女性オーケストラの団員となれたために、 強制労働からも死からも守られた3人の女性を取材した番組だった。 あれから60年近く経つ今も、傷の癒えていない人々である。
そのオーケストラは、収容所の人たちが強制労働に出かけるときや 帰ってくるときに演奏をして送迎する役割を担っていた人たちである。 常にナチス親衛隊の監視の中で演奏を強要されていた人々である。 労働者が帰ってくるときに死体も帰ってくる、それでも演奏をやめられない、 もしも演奏をやめれば即座に銃殺される運命だったからである。
終戦後解放されてから、3人とも当時の楽器はもう弾けなくなってしまった。 (これだけで、もう十分すぎるほどの悲劇のはずである) 第一の女性は、10年目にようやく事務員として働く気持ちになれたが、 軍服を見るだけで大声で叫んで気を失ってしまうので、 すぐに解雇されてしまったという。 思い切ってコンサートに出かけてみても、 収容所で弾いた曲を聴いてしまうと意識を失って病院に運ばれた。 13年目に思い切ってアウシュヴィッツを訪ね、 正面から向き合うことによってようやく力を得て、楽譜を書いたり、 アウシュヴィッツ体験を語ることによって生計を立てて来たようである。 第二の女性は、その女性と今も支え合って生き続けているが、 いまだに当時のことを語れない、忘れようとばかりしている。 第三の女性は、戦後解放されてからイスラエルに住居を求めたが、 パレスチナ人を難民に追いやっているイスラエルの同士たちを、 ナチスと同じことをしていると批判してドイツに戻った。 ドイツでは、ネオナチスを擁護するような警察官たちを叱咤したりした。 収容所のオーケストラではアコーディオン弾きだったが、 最近は、アウシュヴィッツ体験を歌で語り続けているという。
フランクルの「夜と霧」とか、いろいろ読んだり見たりして、 生還者のその後を楽観的にとらえがちになってしまってしたようだ。 極限状況からぎりぎりの帰還を果たした人々の精神は、さまざまなのだ。 彼女たちだけではない。 彼女たちの口から語られるエピソードの中には、 ガス室の誘導係を命じられていた人の中に、 自分の父や、自分の子どもたちをガス室に誘導し、そうして処刑後、 その遺体を焼かねばならなかった人もいるということだ。 みな、自分自身が生き続けることを願っていた、、、けれども、 生還してから、自分は生きるべくして生きてこられたのか、と、 明確な答の出そうにない難問のために苦しみ苛まれているのだろう。
その第一の女性は、自分を見失いそうになるたびに アウシュヴィッツを訪ねてきたという。 番組の最後は、彼女のおそらく生涯最後になるだろう アウシュヴィッツ詣ででしめくくられていた。 彼女は、解放されてもなお、60年近くの間、ヴァイオリンを手にできず、 自己の存在の意味を問い続けている。 ヒトラーが彼女からヴァイオリンを取り上げた、、、それだけで、 この上ない罪ではないか。
多くの印象的な言葉を聞かせてくれる番組だったが、 「アウシュヴィッツは叫んでいる。 人間たちよ、もっと深く考えよ」という最後の言葉が印象的だった。 しかし現実は、平和憲法改悪へとひた走りに走っている。
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