TENSEI塵語

2003年10月11日(土) 寝足りた1日

昨夜は「美女か野獣」の最終の2話を見て、大いに涙して2時に寝たが、
今朝は、2、3度目を覚ましながらも、11時ごろまでしっかり眠った。
起きたとき、寝足りた満足感に包まれ、
何をやるにしてもめんどうで億劫な気がしなかった。
この1ヶ月近く、休日もゆっくり眠れる日がなかったせいでもあるけれど、
十分眠れたことを素直に喜べる日はそうあるわけではない。
むしろ休日でもそれを後悔することの方が多いのである。
今朝の(といっても昼前だけど)爽快感は、
疲れが格別たまっていていい加減投げやりになりかけていたせいでもあるが、
この連休にどうしてもやらなければならない仕事がわずかだという
解放感のせいでもあるだろう。

昼に買い物に出かけ、気になっていたところの掃除をするのも苦でなかった。
それから、夏休み以来億劫で中断していた編曲の仕事をした。
それから市吹に出かけて、実に前向きな練習に入ることができた。
精神的な充実はいろいろな面で前向きに働くものである。

きょうもっともうれしくて元気の源になっているのは、
リードの「オセロ」第5楽章の後半の数小節の解釈を確定できたことである。
オセロがデズデモーナの首を絞める瞬間をどの小節に解釈するか、
去年から暫定的に答えを出しながら、ずっと迷っていたのである。
けれども、木曜日に原作の第5幕を何年ぶりかに読み返してみて、
原作のこの場面があまりにもあっけないのに驚いた。
この場面のオセロには、逡巡もないし、逆上の中でという嵐もないのだ。
オセロのデズデモーナ殺害への言動は実に直線的である。
オセロが寝室に入ってから、もうデスデモーナを殺すことしか考えてない。
デスデモーナも死の直前まで懇願はしているが、すでに覚悟はできている。
そうならざるを得ないところまで来てのクライマックスのようだ。
それをリードが音楽にしているのなら、39小節目を頂点にする必要はない。
首を絞める決定的場面は35小節目だ。
今まで、逆上するオセロと解釈していたのは、無用の解釈だ。
35・36小節目はすごい形相で首を絞めるオセロを思い描き、
37・38小節目は力を失って行くデスデモーナを思い描こう。
39・40小節目は、デスデモーナの息絶える前の台詞を思い浮かべよう。
デスデモーナ「無実の罪で死ぬのです」
エミリア「ああ、誰がこんなことを」
デズデモーナ「誰でもない、、、自分の手で、、さようなら、、
     旦那様(オセロ)によろしく、、、ああ、、さようなら、、、」

こういう流れで第5楽章を演出しようとすると、
非常にすっきりと流れができ、最後が静かに終わっても十分納得できそうだ。
きょうは市吹でそういう演出で練習してみた。
演奏の完成にはまだ時間がかかりそうだけど、今夜は実に満足している。
短い1日だったけど、実に充実した1日だったと思う。


 < 過去  INDEX  未来 >


TENSEI [MAIL]