和斗の文章とかいうもの。  2006年03月25日(土)





昔、好きなサイトさんの管理人様がこんなことをいってらした。


「これは、自分の自慰行為で書き始めたものだから」


そうなんだよな、これって自慰行為なんだよな。オナニーなんだよな。
好きで牛尾と子津のお話書いてさ、楽しくてさ、書く前から妄想してさ、それがやっぱり―――気持ちいい行為なんだよ。
最初は自分の考えていた牛子の妄想を書き留めたくて、後から読んで「あ、こんな牛子も考えてたよなあ」と思うために書き留めて。


考えてみれば、ぜーんぶ自分のためで。自己満で。
誰かのためだとか、そういうのを、全然考えない行為で。
身勝手な、周りのことを省みない、浅はかな幼さを伴った自慰行為。







それがいつからか文字を書く、という行為自体が楽しくなっちゃって。
書いている途中、時々ある、「これしかない!」という文章。本当にいつまで経ってもその話の中で「これ以上相応しい表現はないよ!」と思えるぐらいピタリとはまれる文章が。
その文章を思いついたときは本当に絶頂に達したかと思えるほどで。
だけどそんな文は滅多になく。たった一文だけでも、やっぱりそんな文は滅多に生まれず。





プロだとか、そういったレベルには到底及ばない私は相手を気持ちよくさせるセックスなんか出来ず、やはり所詮マスかきレベルで。
このサイトはそんな自己満が集まったサイトなんです。






でも、枡野浩一はこういった。

『人はよく、「それはマスターベーションだ」なんて言ったりしますが、そんな言葉でマスノ短歌教を否定しても無駄です。魅力的なマスのかき方もあると、教祖(枡野浩一)は考えているからです。(中略)自閉的なセックスよりも、他人を楽しませるマス。これからの時代、それが主流になると、教祖マスノは予言します。』
((c)かんたん短歌の作り方(マスノ短歌教を信じますの?)/枡野浩一著)






魅力的な自慰行為(マスターベーション)があるならば。
私のマスは、少しでもあなたを楽しませてあげられたでしょうか。





3年以上このサイトをやって、もう少しで閉鎖するというときに管理人の考えることはそんなことです。
ちょっとでも、ちょっとでも楽しませてあげられたかな。楽しませてあげられたんじゃないかなと自分では思っちゃったりするんですが。思い上がりでしょうか。
少しでも、ほんの少しでも楽しかったよ、と思ってくださる人はたった一言でも、ほんとーにたった一言でも、いってくださったら、嬉しいです。本当に、本当に、嬉しい。



嬉しい、です。





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