#1 濡鼠(ヌレネヅミ)  2006年03月07日(火)




ダン!と低い音が響いた。
それよりも一段ほど高い低さで飛んでいったボールが壁に当たり、跳ね返ってくる。ころころと転がってくるボールを子津は拾って振りかえった。笑った。

「すみません、キャプテン。今日も帰りのミーティングに出られなかったっすねー」

陽気に笑う子津とは対照的に牛尾は口を真一文字に結び厳しい顔だった。もう暗くなった。空も彼も。
それでも子津はやはり対称的に、笑うのだ。彼に会うときは出来るだけ笑顔。
笑顔が一番、効果的。

「…部室をしめるから、子津くんも練習を止めなよ」
「あ、いやです」

あっさりとそう言いきる子津に牛尾の目がピクリと動いた。少し驚いた顔。感情表現が豊かな顔。
僕とは違って。

「監督から許可をもらってます。監督が止めに来るまで練習をしててもいいって」
「それは知ってる。だから今までも許してきたけど………でも、その手でこれ以上やる気かい?」
「手?」

くすっと子津は笑った。さっきまで浮かべていた微笑みとは違う、相手の犯した間違いが可笑しくて笑ってしまう『くすっ』だった。

「この手がどうかしました?」
「ぼろぼろじゃないか。………君は毎朝早くきてボール磨きをしてくれてるのは知っている。それが、練習でついた君の血を消すためだってことも。そんな無茶して………」
「―――無茶しないでレギュラーになれるって、ホショーしてくれますか?」

牛尾の言葉が詰まった。思わず自然に笑みが浮かんでしまう。
ああ、本当にあんたっていう人は。

「キャプテンはもうスタメンっすから体をこわさないことが第一かもしれませんけど、僕はガタがきたって誰も困りはしないんです。だって、僕はキャプテンと違って試合にでませんから。だったら壊れてもいいから―――いや、むしろ壊したいっすね。そんなもんでレギュラーになれるなら」

口の端がつり上がる。残酷なまでに口の端は高く高く持ち上がる。
口裂け女は人に問い、答えられるほどに口が裂けていくという。笑みの形をしたままで。
僕が今一番尊敬する人は多分、口裂け女に違いない。
もっともっと吊り上がれ、僕の口。

「だから僕にはとにかく練習するしかないんすよ、だからとやかく言わないで下さい牛尾キャプテン」
「でもねづく…っ」
「ソコにいる人に、何か言われたくはないんすよ、牛尾キャプテン」

にっこりと、にっこりと子津は笑った。
牛尾は何も言えなくなった人形のように―――埃にかぶって誰も手とってくれなくなった人形の瞳のような悲しみすら浮かべ、黙り込んだ。
それを見てやはり子津は笑う。痛む胸とともにゾクリとする快感を得ながら。



ああ、止められないなあ。













―――恋した人間達が綺麗になるというならば、
―――――言った奴諸共八つ裂きに。
―――気づいていたら或の日、
―――――ここまで来る前に引き返してやったっつうのに。




綺麗になる資格などない汚れたこの手をどうぞ死刑に。





―――攻略? 策略? 奪略?
―――――ハッ、舐めんじゃねえよ。
―――恋愛? 友情? 尊敬?
―――――甘ったれたことを言ってたらケツをバットで犯させる。






簡単に手に入らぬ綺麗なモノなら、ソレに傷をつけてやる。







如何して出逢ってしまったんだ?









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