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天竜



 最終選考結果!

アフガン小説を送っていた文芸賞の最終選考結果がでました。結局、最終選考には5作品が残っていたのですが、大賞1作、準大賞1作、そして佳作が2作の計4作がそれぞれ選ばれ、アタイの作品はかすりもしない残り1作品でしたテヘ!

もう〜ね、残念といえば残念ですが、かなりすっきりしました(笑)ようやく緊張も解けましたしね〜。作品を投稿してから三ヶ月間、ある意味すごくドキドキしましたし、楽しかったですし、二次まで残ったという自信も頂きましたしね、もうね、大満足です。

また今後どんな作品を書いていくにしても、背伸びせず、足りないものを受け入れつつ、書いていけたらいいな〜と思います。
メールや掲示板でお声をかけてくださった皆様、本当に本当にありがとうございました!

お礼といってはあれですが、高井戸小説はアフガンものを書く前に8本ほど短編をかいておりまして、そのなかのひとつを貼り付けておきます。
これもノーマル小説なんですが、軽いヤクザものということで(笑)お時間があればどうぞご一読くださいませませ。

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冷たい唇 (高井戸シリーズ #4)

俺はその建物を見上げた。
どこにでもある六階建ての賃貸マンションだった。背広から煙草を取り出すと、すかさず尚也がジッポを擦る。俺は紫煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「どうしましょう、俺が先に行って中の様子を見てきましょうか」尚也が言う。派手な黄色いアロハシャツにパンチパーマ、細く剃った眉、歳はまだ三十前だと思ったが、この世界に棲み付く男の匂いがその口調や仕種に染み付いている。暴力と、女と、金が生み出す腐臭だ。まあ、俺も似たようなもんだが。
「いいさ、ナオは事務所へ戻れ。必要があれば連絡する」
「そんな、駄目ですよ。危ないです。俺も一緒に行きます」
俺は目だけで笑って、吸い掛けの煙草を尚也の薄い唇に押し込んだ。
「別に討ち入りするわけじゃない。相手と世間話をするだけだ」
尚也は納得できないという顔をしていたが、俺が顎をしゃくると、不承不承に路肩に停めてあったベンツの方へと歩いて行った。未練がましく振り返る尚也の視線を背中に受けながら、俺はマンションの中に入る。エレベーターに乗り、五階のボタンを押した。
時間を確認する。
午後六時。
夜の街が緩慢な仕種で動き始める時間だ。

インターフォンを押してしばらく待つと、男が顔を出した。まばらな無精ひげが顎を覆い、襟口の伸びたTシャツを着ている。歳は三十前半といったところか。
「高井戸元気さんというのは、あんたか?」
男は俺の顔を遠慮もなくじろじろ眺めていたが、雰囲気から生業を察したのか、仕方ないといった表情で頷いた。
「残念ながら、私が高井戸です」
「少しお時間をいただけますか?」俺が訊くと、高井戸は短い髪をがりがりと掻いた。
「嫌だと言っても押し入るつもりでしょう。そういう傲慢な物言いは、刑事とやくざの特権ですね」
俺は喉の奥で笑う。おかしな奴だ。
「生憎と令状は持ってないんでね」
「俺はやくざとも仲良くする気はない」
「若い奴を寄越してもいいんだが、できれば穏便に話がしたい」
「勝手に来ておいて穏便も何もあるもんか」ぶつぶつと文句を言いながらも、高井戸は俺を部屋へとあげた。厄介事は、互いにごめんだ。
高井戸は俺をソファに促し、自分もテーブルを挟んで向かい合うようにして腰を下ろす。
「話というのはなんですか?」
高井戸は不機嫌な顔のまま訊いてくる。俺は背広から煙草を取り出し、高井戸に勧めた。高井戸は遠慮なくそれを受け取り、口に咥える。火はテーブルに置いてある自分のライターを使った。俺もジッポを擦る。
「角川早苗という女を知ってるな?」
単刀直入に訊ねた。すると高井戸は紫煙を吹き出しながら、子供のように口をヘの字に曲げた。
「あんたさ、一応名前くらい名乗ったらどうだ? やくざにだって礼儀はあるだろう」
堅気の人間にこれほど傲慢な態度を取られたことは久しぶりだった。だが、それも悪くない。腹は立たなかった。
「女の股で金を稼ぐような人間にまともな奴はいないと思ってたが、あんたは見掛けに寄らず常識人だな」
「誉め殺しはけっこう」つまらなそうな声で高井戸が言う。
「東流会系桜田組の貫井だ」
桜田組と言ったとき、高井戸の右眉が僅かに上がった。角川早苗という名前との関係に気付いたのだろう。
「貫井さんね。で、用件はなんですか」高井戸は何気ない顔で問い返す。
「その前に、角川早苗を知っているかどうかを確認したい」
俺が言うと、高井戸は素直に頷いた。
「知ってる。どうせ、それを承知で来たんだろう」
「彼女が、どういう女かってことは?」
「綺麗な人だったよ」
とぼけているのか、本気で言っているのか、その表情からは読み取れなかった。
角川早苗は、桜田組の若頭西尾達矢の愛人だ。もともと高校の美術講師をしていたのだが、弟が作った消費者金融からの借金がもとで、講師を続ける傍ら夜の商売に足を突っ込まざるを得なくなった。無口で愛想はなかったが、肌が綺麗だった。北海道の生まれで、白く透き通るような肌をしていた。
早苗の弟が借金したローン会社は東流会系のフロントで、彼女が斡旋されたのは桜田組が経営するソープだった。西尾は早苗を気に入った。強引に美術教師を辞めさせ、マンションを買い与え、自分の愛人にした。弟を自由にしてくれるのであればという約束で、早苗は西尾に飼われることを承諾した。すでにプライドも砕かれるほどオモチャにされた後だったのだろう。
俺も何度か西尾の指示で早苗を抱いた。西尾は糖尿で、自分のものが役に立たないときは、組の若い連中に早苗を犯させ、それを見て楽しむことも多かった。
早苗は声も上げず、人形のように揺さぶられるだけだった。
白い肌だけが、妙にひんやりとしていたのを覚えている。

「早苗は、あんたに裸を撮らせたんだろう」
その時の感触を手のひらに思い出しながら、俺は高井戸の顔を見つめる。
「ヌードはモデルの募集をかけるときの条件だからな」
そう、この男の肩書きは写真家だった。それもヌードを専門に撮るという噂の男だ。
「早苗はそのバイトに応募してきたのか?」俺が訊くと、高井戸は白い煙を吐き出しながら僅かに目を細めた。
「当然だ。あんた、俺がその辺の女を手当たりしだい裸に剥いて写真撮ってるとでも思ってるのか」
「違うのか?」俺が笑いながら言うと、高井戸は面倒臭そうに顎を掻いた。
「もういい。で、彼女が何だ?」
「逃げた」
果たして正直に話す理由があったのかどうか分からないが、自然と口は動いていた。高井戸は興味のなさそうな顔をしたまま、ソファに踏ん反り返る。
「女が逃げる理由はひとつ。男が甲斐性なしだからだ。あんたがちゃんと相手してやらなかったんじゃないのか」
「早苗は若頭の愛人だ」
「そんなの理由にならないね」高井戸は短くなった煙草を灰皿で揉み消した。「どちらにしろ、俺とは関係ない」
俺はゆっくりと足を組んだ。
「若がご立腹でね。早苗が最後に立ち寄ったのがここだと分かった以上、関係ないじゃあすまされん」
「俺が逃亡の手助けでもしたと思ってるのか?」
「少なくとも、早苗に金は渡しただろう」
「モデル代の三万円ならね」
「十分だ」
高井戸はあからさまに呆れた顔をした。
「言いがかりもいいところだ。善良な市民を脅すつもりなら警察呼ぶよ」
「痛くもない腹を探られるのはあんたの方じゃないのか」
「言っとくが、俺は売れてないってだけでちゃんとした写真家だ。カメラマンが女のヌード撮ろうが男のヌード撮ろうが、そんなもんは罪にならない。ついでに言えば、撮った写真をどっかのいかがわしい雑誌に流したこともないし、それを金儲けの道具にした覚えもない。あんたらにどうのこうの言われる筋合いはないね」
俺はフィルターまで焦げ付いた煙草をもう一口吸って灰皿に捨てた。
「まあいい。どちらにしろ、あらためて組の連中を寄越す。一応警告のつもりで来てやったんだが、あんたにはどうやら必要なさそうだ」
そう言ってソファから立ち上がると、高井戸は俺を見上げてなぜか困ったように笑った。
「貫井さん、あんたは何も分かっちゃいない」
俺は腕を伸ばし、高井戸の顎を鷲掴んだ。無精ひげは、見た目以上に柔らかかった。
「やくざを舐めるのもいい加減にしないと、カメラはおろか、自分の一物も握れなくなるぜ高井戸さん」
凄んで見せたが、高井戸は表情を変えず、昏い目をして俺を見つめた。こういう目をする男を、俺は何度か見たことがある。一度、地獄を見てきた人間だけが持ち得る、独特の眼差しだった。死ぬときも、あいつらは同じ目をしていた。
「早苗さんが逃げ出した理由、あんたは知ってるのか?」
高井戸は俺の手を振り払うこともなく訊いてくる。逃亡した理由は明らかだった。彼女が身代わりになって助けたはずの弟が、結局は桜田組の構成員になり、先月人を殴り殺して刑務所に入ったのだ。やくざ同士の喧嘩ということで四課が幅を利かせ、ろくな裁判も行われず七年の実刑を食らった。それを、早苗は新聞か何かで知ったのだろう。
弟のためを思ってしてきたことが、すべて無駄だったと分かった。
逃げ出したいという衝動に駆られても仕方がない。
だが、実際に逃げたことで、彼女の寿命は終わったようなものだ。女に逃げられたという不名誉な事実を払拭するために、西尾は何がなんでも早苗を連れ戻すつもりだ。その後、彼女が人として扱われることはないだろう。
「自業自得だ」俺が吐き捨てるように言うと、高井戸はようやく顎を引いて俺の手から逃れた。
「早苗さんは“待つ”女性だった。彼女は“待つ”ことで正気を保とうとしていた。貫井さん、あんたが一番それを良く分かっていたはずだ。だから組の手入れが入る前に、自らの独断でこの場所を訪れた。彼女を探し出すためにね」
「女を若頭の元へ連れ戻すのが、俺の仕事だからな」
「人間は、どこまでいっても嘘吐きだ。自分を守るためならば、どんな嘘も平気で吐く。だけど男なら、その嘘を貫き通さなくちゃいけないときもあるんじゃないのか貫井さん。彼女はここに来たとき怯えてなどいなかった。警戒もしていなかった。ただ、金が欲しいから写真を撮ってくれと頼みにきたんだ。俺はその望み通り、彼女をモデルにして写真を撮った。そしてバイト代を払った」
高井戸は一度ソファから立ち上がり、背後のデスクの引き出しから茶封筒を取り出してこちらに滑らせる。中を開けると、そこに角川早苗がいた。仄暗い背景をバッグに、蝋のように白い肌を惜しげもなく晒している。写真は全部で二十枚ほどあったが、早苗はほとんど表情を変えることなくカメラに向かって佇んでいるだけだった。
「普通なら、いくら逃走のための費用が必要だからといって、自分がそこにいたという証拠を残すようなモデルの仕事をわざわざ選ぶわけがない。だけど、早苗さんは俺のところへ来た。それがどういうことか、あんたには分かるか? 命を惜しいと思う人間が、こんな写真を残すと思うのか?」
俺は、写真の中の早苗に見つめられていた。
まるで腐った死体に寄生する蛆虫のように、生気のない肉体の中で、彼女の二つの瞳だけが何かを訴えるかのようにゆらゆらと揺れている。
――わたし、不幸な女なんかじゃないわ。
いつだったろうか。彼女が俺の耳もとに囁いた。あの時も、俺は西尾に言われるまま早苗を組み伏し、乱暴に彼女を犯した後だったと思う。西尾がシャワーを浴びに行く一瞬を見計らって、彼女は俺に縋りついた。
「わたしはもう、もとの生活に戻りたいとは思ってないの。だけど、夢だけは見させて欲しい。いつか、好きな人と結婚して、その人のために料理をしたり、洗濯をしたりして、つまらない女になって愛する人の帰りを待つの。待ちたいの。そうやって、誰かを待って生きていきたい。それが、わたしのたったひとつの夢なの。やくざの愛人が何言ってるんだって……あなたは笑うのかしら」
俺は、その時何と答えただろう。
西尾の目を盗んで、彼女に何と囁いただろう。

「早苗さんはもう、待ちきれなくなったんだ。待つことに疲れたんじゃない。自分の中で、感情が押さえきれなくなったんだ。俺には、そう見えたよ」
早苗の顔を思い出す。白くて、綺麗な肌をした女だった。この写真に映る残像よりももっと柔らかく、そして優しかった。
自分を陵辱する男を前にしても、彼女の吐く息は甘く切なかった。
 ――そうだ。
俺は思い出していた。
俺は彼女に言ったはずだ。
冗談めかして、だけど視線を合わせて、早苗に言った。

「じゃあ、俺と逃げるか。俺が、待つだけの女にしてやろうか」

早苗は笑っただけだった。
何も言わなかった。
俺はそんな彼女の顔を引き寄せ、冷たい唇に噛み付いた。
ただ、それだけのことだった。

「彼女はきっと、今でも“待つ”ことをやめられない。それが彼女の生き方だからな。あんたらの目の届かない場所で、きっと待ち続けてる。ひとりで、淡い夢を抱いてね。その手助けをしたことで俺がやくざに追われるのなら、仕方ないと諦めるよ。東京湾でも日本海でも好きに沈めりゃいいさ。どうせ、泣くやつはいない」
高井戸はそう言って、新しい煙草を咥えた。俺は腕を伸ばし、自分のジッポを擦ってやる。高井戸は少し驚いた顔をしたが、そのまま煙草を吸いつけた。
「早苗は、俺がここに来ることを知ってたのか」
「さあてね、人の恋路には興味がない」さっきまでの饒舌が嘘のように、高井戸は素っ気なく言った。俺は苦笑しながら、早苗の写真をすべて封筒に戻し、高井戸に返した。
「早苗があんたに裸を撮らせた理由が、何となくわかったよ」
「待つ女がいる以上、あんたもそう簡単には死ねないな」
「賭けてみるか? 海に沈むのが、俺が先かあんたが先か」
そう言うと、高井戸は小さく肩を竦めた。「売れない写真家からこれ以上金を毟り取る気か。やくざってのはだから、ろくでなしなんだ」
俺は笑って、高井戸の頬を軽く叩いてやった。
「その写真は、処分しておいてくれ」
「悪いが、これは俺のコレクションだ。そう簡単には捨てられない。だけど約束する。あんた以外の奴にこの写真を見せることは絶対にしない。それが多分、早苗さんの意思だろうからね。モデルを守るのも写真家の仕事だ」
「分かった。信じよう」
俺は高井戸のマンションを出た。
エントランスを出ると、結局事務所に戻らずベンツの中で待ち伏せていた尚也が運転席から駆け出していくる。
「貫井さん、大丈夫でしたか?」よほど待ち遠しかったのか、興奮して耳が真っ赤だ。俺は笑いながら、そんな尚也を待ち受ける。
「そんなに信用ないのか、俺は」
尚也は大袈裟なくらい大きく首を振った。「まさか、そんなことないですよ。ただ、最近はシロウトでも危ねえ野郎が多いから」
「あいつは薬でいかれたスケベ野郎だ。女の股にしか興味がない。早苗のことも、覚えちゃいないみたいだ」
「そうですか、無駄足でしたね」尚也が残念そうに言う。

人間はしょせん嘘つきだから。
高井戸は、きっとそう言って笑うだろう。
「行くぞ」俺が声を掛けると、尚也は急いで運転席に滑り込んだ。
車がゆっくりと動き出す。俺はシートに深く沈み込みながら、消えた女のことを考えた。ヌードモデルで稼いだ三万を、早苗は何に使うつもりなのだろう。
俺はふと、ハンドルを握る尚也の横顔を見つめた。
「なあ、ナオ」
「何ですか?」
「お前、もし手元に十万あったとして、自分のこと以外に使うとしたら何に使う?」
尚也は一度俺の顔を振り返り、それから細い眉を困ったように下げた。
「自分のこと以外でですか? そうだなあ、何ですかね」
しばらくぶつぶつと考え込んでいた尚也だったが、やがて何かに気付いたように小さく声を洩らした。
「ああ、実はですね。来月、うちの姉貴がガキ産むんですよ。結婚してねえのにデキちまって。親はカンカンなんですけどね。もし十万あるなら、姉貴に渡します。出産費用とか、ガキのおしめとか、そういうのっていろいろ金掛かるでしょう? だから、たまには姉貴孝行ってやつです。なんか、そういうのってダサいですかね」
照れ臭そうに尚也は笑う。
俺は尚也の話を聞きながら、早苗が何のためにヌードモデルなんかをしてはした金を稼いだのか、少しずつ解かりかけていた。
早苗は、愛人として西尾から貰う金ではなく、どんな形にせよ自分で稼いだ金を手に入れたかったのだと思う。何のために。それは、純粋に誰かのために使いたかったからだ。やくざの金ではない、ちゃんと自分が働いて手にしたお金を、大切な人のために使いたかった。

俺は煙草を咥えた。
今ごろ、刑務所に入った早苗の弟のもとに、何か差し入れが持ち込まれているかもしれない。早苗とは、そういう女なのだ。
窓の外では、怠惰な夜がネオンに彩られた肢体をけだるげに動かしていた。この夜のどこかに、あの女はいる。そして、待っている。つまらない、平凡な女になる自分を夢見て、甲斐性のない男を待ち侘びている。
それは決して、悪い気分ではなかった。
女に惚れるとはきっと――そういうことなのだろう。


2005年03月31日(木)
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