たりたの日記
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好調が突然不調に変わる、予測のつかない身体の変化、これがいちばん困る。
昨日は訪問看護の日で、熱、血圧、腹水やむくみなど問題はなく、いつものように、いろいろ話をしながら、びわ温灸やアロママッサージをしていただいた。昨日のトロトロした感じもなく、昼も「癒す心、治る力」の本に書かれていたレシピを見ながら、ブロッコリーをニンニクとオリーブオイルで蒸し煮にしたものを美味しく食べることができた。沢山の薬をひとつひとつ数え、飲み終えて、食器を洗っている時に、突然の悪寒!やばい! 夫は午前中、休みを取ってくれて、わたしが具合もよさそうなので、12時前に仕事に出かけたばかり。
動けなくなる前に、とにかくベッドにもぐりこまなくては。 がくがくしながら、なんとか階段を登り、冷房を暖房に切り替え、クロゼットから冬用の羽毛布団と毛布を引っ張りだし、その中に潜り込む。それでも寒く、歯と歯がガチガチ音を立てる。湯たんぽがほしいが、身体の向きさえ変えることができない。
けれど、これまでもなん回かこういうことを経験しているから、これは熱が出きってしまうまでの症状で、30分から1時間もすれば落ち着くことは分かっている。でも今回もそうだろうかとそんな不安も頭をよぎる。 このような時のために、24時間体制の訪問看護を受けているのだが、今は携帯で様子を説明するのさえ自信がない。それに、家に来てもらっても、鍵がかかっているから、わたしが、階下まで降りなくてはならない。それも無理。それでも夫にはもしも痙攣が治らない場合のために伝えておかなくてはとしどろもどろに電話する。ちょうど職場について午後の仕事を開始したところなのに申し訳ない。 「あれは、地獄の淵からかけてきたような声だったよ」と後の夫の証言(笑)
夫は警察と救急車を呼び、警察にドアを壊してもらって救急車で病院へ行けと言うが、こんな状態で救急車に運ばれて行く事も、その後、検査のためにまたまた1週間入院し、抗生物質投与となる事は避けたい。とにかく悪寒がおさまるまでは動きが取れないのだから。
前回は6月から7月にかけて入院していた時に2度ほど、このように酷い悪寒に見舞われたが、その時はその前日、一日中下痢で、翌日は下痢止めで下痢はおさまったものの、一日トロトロと微睡みの中にあった。その日は気温も高く、喉は乾くものの、お腹がゴロゴロ鳴るので、思いきって水分を補給するのがためらわれた。その後の血液検査の結果、夜中の発熱は感染に寄るものではなく、結局、脱水症による熱だったので、今回の熱もきっとそれに違いない。ベッドのそばに置いてあるミネラルウォーターを飲み、イスラエルで買ってきた瓶詰めの死海の塩の粒を口に入れ、震えが止まるのを待つ。
午後2時45分、ちょうど、震えが止まり、身体が緩み始めたころ、おっと帰宅。さっそく湯たんぽ2つを作ってもらい、ようやく落ち着く。 その後、暖房を冷房に切り替え、アイスノンで首回りを冷やすと間もなく平熱に戻る。食欲はないが、お団子を2粒食べ、いつもの薬を飲み、いつの間にか眠ってしまったが、夕方6時、再び悪寒。気がつけば、パジャマも髪も汗でビッショリになっている。その上冷房をつけたまま眠りこんだから、すっかり身体が冷えてしまったのだ。
急いで乾いているものに取り替え、また布団に包まれる。今度は夫が家にいて助かった。また湯たんぽを作ってもらい、買ってきてもらったポカリを飲む。熱は39・4度まで上がり切ると、震えが治り、今度は身体が熱くなるので、両脇と保後頭部を保冷剤とアイスノンで冷やす。夜8時過ぎには平熱に戻り意識もはっきりしてきた。夫がナースセンターに電話をして経緯を話すと、また悪寒は起きるかもしれないが、それに耐えられ、水分が十分に取れれば、今から慌てて病院に行かなくててもいいでしょうと言う事だった。
その後の夜の時間はいつもの腹痛もなく、身体の調子も落ちついていて、 本を読んだり、スマホで映画も観られるくらいだった。読み始めた本は若松英輔著、「常世の花 -石牟礼道子」毎日のように葉書を送ってくれる大学時代の友人が、送ってくれた新聞の切り抜きを読んでさっそく注文した本。 1ページ目を読んだ時に、この本に出会えて良かった、読むことができて良かったと思った。感謝。
それにしても、この変化はなんということ。 こういうことも起こることを想定しておかなくてはと思う。
今日はリハビリと歯医者の予約をキャンセルしたが、昨日のようなハプニングには見舞われず、久々にゆっくりお風呂に入ることもできた。琵琶エキスなどの生薬が入ったオレンジ色の入浴剤に心がなごむ。
さて、今夜はどうだろう。 本の続きを読めるといい。
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