たりたの日記
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2018年05月27日(日) 天に一人を増しぬ

今日は三位一体主日。
午前中40分ほど、瞑想室で祈りの時間を持つことができた。
グレゴリオ聖歌のミサの曲を口ずさみ、久々に声に出して聖書の朗読をする。

教会の帰り、夫が来てくれ、この日の英神父のミサの説教の事や、その後の講座の話をしてくれる。三位一体ということ、父と子と聖霊の御名によって という意味のほんとうのところがよく分かるねと話した。後で、ネットに上げられている、この日の説教を聴いたが、御名によってと日本語に訳されているが、ギリシャ語では その中に入ってという意味。地上での生であっても、天上での生も、イエス・神・聖霊の三位一体の神様の交わりの中に、そのまま入る、あずかる、投げ込まれるという事だと。
またこの3週間のうちに、教会の2人の神父様が帰天されたことも知る。

そして、この日の夜、次男の連れ合いのお祖母様が亡くなった事を、早朝のフェスブックで知る。
祈冥福。

以前にもここに記したことのある、この詩が浮かんできた。

天に一人を増しぬ                      

セラ・ゲラルデナ・ストック作                            植村正久訳


家には一人を減じたり 楽しき團欒(まどい)は破れたり
愛する顔 平常(いつも)の席に見えぬぞ悲しき
されば天に一人を増しぬ 清められ救はれ全うせられしもの一人を


家には一人を減じたり 歸るを迎ふる聲一つ聞こえずなりぬ
行くを送る言一つ消え失せぬ
別るゝことの絶えてなき濱邊に 一つの霊魂(たましい)は上陸せり 
天に一人を増しぬ


家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れに堪えず 
内に入れば空しき席を見るも涙なり
さればはるか彼方に 我らの行くを待ちつゝ 天に一人を増しぬ


家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽ひて 歩みも四度路(しどろ)に眼もくらし
さればみくらよりの日の輝き出でぬ
天に一人を増しぬ


實(げ)に天に一人を増しぬ 土の型にねち込まれて 基督を見るの眼も暗く
愛の冷かなる此処
いかで我らの家なるべき 顔を合わせて吾が君を見奉らん
彼所こそ家なれまた天なれ


地には一人を減じたり 其の苦痛、悲哀、労働を分かつべき一人を減じたり
旅人の日毎の十字架を擔うべき一人を減じたり
されば贖はれしたましひの冠を戴くべきもの 一人を天の家に増しぬ


天に一人を増しぬ 曇りし日も此一念輝かん
感謝賛美の題目更に加はれり
吾らの霊魂(たましい)を 天の故郷に引き揚ぐる
鏈(くさり)の環更に一つの輪を加へられしなり


家には一人を増しぬ 分るゝことの断えてなき家に
一人も失はるゝことなかるべき家に
主耶蘇(イエス)よ 天の家庭に 君とともに座すべき席を 
我ら全てにも あたへたまえ


たりたくみ |MAILHomePage

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