たりたの日記
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2018年04月05日(木) ヤン ヨンヒ著 「朝鮮大学校物語」を読んだ日

ヤン ヨンヒ著 「朝鮮大学校物語」を読んだ。
友人のFBで、ヤン ヨンヒ監督の新作ドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」のクラウドファンディングの事を知り、興味深く、また応援したいと思ったので、ドネイションしたのだが、そのリターンとして、彼女の書き下ろし新刊書「朝鮮大学校物語」がさっそく届いた。

作家その人がモデルであろう、演劇を志す主人公が、厳しい校則や寮生活を、強いられ、反発や反感、自由になりたいというか願いを持ちながら、自分らしさを失わず孤独な闘いをしながら、演劇への道を切り開いていく姿に感動し、共感した。

そもそも、なぜ、彼女の映画や本に興味を持ったかということだが、わたし自身、彼女の言う、日本でありながら日本ではない、朝鮮学校に7年間かかわったいきさつがある。
アメリカ滞在から戻ってきた翌年、1994年4月から2000年3月まで、埼玉県の初中級朝鮮学校で、初級の英語教師として小学1年から6年生まで、およそ200人ほどの生徒の英語教育にかかわった。

アメリカ滞在中、多くのフレンドシップにも接し、かけがえのない友人達も得たが、マイノリティーとして外国人として生活することの厳しさ、人種差別の視線も体験した。日本に戻ってきてからも、どこかで、この緊張感を維持していたい、おこがましくも、マイノリティーの側に自分を置きたいという気持ちがあった。そして、不思議なように、その願いにかなった働き場所を与えられたのだった。

この場で日本人はわたしひとりという環境。北朝鮮の思想や教育理念に賛同していたわけでもない。ただ、この日本の中で、様々な差別や生きにくさに出会いながら生きていかなくてはならない子ども達に、世界と繋がるツールになる英語をひとつの支えとして手渡したいという願いがあった。

その7年間の細部は思い出せないが、パートナーとして仕事を組むネイティブの講師を見つけ、それぞれの学年のカリキュラムを作り、テキストを決め、ネイティブの講師とかなり熱の入ったディスカッションをしながら(相手によってはまるで喧嘩のようになることもあった)次のクラスの準備をし、校長先生との交渉や学級担任への協力の依頼。中学部の英語教師とのコミュニケーションや部活動のヘルプと、必要と思われる事を自分で探し出しては進めていった。
仕事は週2回、あるいは3回、朝から夕方5時くらいまで学校にいた。
昼休みは子ども達と校庭で遊んだりすることもあり、運動会や文化会館での大掛かりな学芸発表会も見に行った。
先生方は朝鮮語をまったく喋れないわたしやネイティブの講師に暖かい目を向けて下さり、先生方の食事会の席に招いて下さることさえあった。あの時の焼肉のなんと美味しかったこと!
また、教師と子ども達との関係は兄弟、姉妹のような関係で、学校全体がひとつの家族といった印象があった。

そして、忘れられないのは、オモニ(お母さん)の作ってくれる昼ごはん。
教員食堂で、私たちも食事をいただいたが、
ビビンバやワカメスープや様々なコリアンフード、蜂の巣と呼ばれるる内臓のスープなど、食べたことのないものもあったが、いつもとても美味しかった。どんぶり一杯に盛られた食べ放題の手作りキムチは絶品で、あれよりおいしいキムチには今だ出会ったことがない。
オモニは時々、めずらしい青唐辛子のキムチを瓶に入れて下さったり、料理の仕方を教えてくれたりと優しかった。

彼らの側に立ちたい、彼らの役に立ちたいとねがったが、恩恵を受けたのはむしろわたしの方ではなかったか。
そして、その恩恵や愛情を感じつつも、その仕事場から離れた後は、そこの生徒とも先生方とも繋がりはなくなり、足を向けることもなくなってしまった。
北朝鮮という国が次第に不気味で得体の知れない国になり、その空気の中で、ただひとりの日本人として関わり続ける事に不安が募ってきたこともあった。教会の英会話スクールを手伝う事をきっかけに、朝鮮学校での仕事を終わりにした。
我が家にお招きしたりもした若い英語の先生とはしばらく手紙のやりとりをしていたが、いつの間にか途絶えてしまった。交流を続けて行けばよかったと今ごろになって後悔する。

奇しくも、この日の午後、病院を訪ねて下さったのは、以前行っていた教会で教会学校や役員をしていたUさん。
出会った時は20代の青年で、彼らは、わたしがそれまで働いていた朝鮮初中級学校の卒業生と聞いて驚いた。卒業後は日本の高校、大学、アメリカ留学から戻ってきたところだった。

今日久々にお会いしたUさんはこれまで20年近く働いてきた会社をこの3月で退職し、新しい生き方を始めようとしている。今回お会いして、彼が、日本と韓国と北朝鮮を繋いでいく、そんな人材として働きたいという願いを持っていることを知る。彼と教会のことや信仰の話もしたが、彼の母校、わたしの職場であった朝鮮学校の思い出を語り合うことができたことはよかった。
すっかり切れてしまっていた、あの学校で出会った人達と、わずかながらにまた繋がる事ができたような気持ちになった。

Uさんのこれからの働きも、ヤン ヨンヒ監督のこれからの映画作成も、応援していこうと思う。

退院したら、ヤン ヨンヒ監督の前作「かぞくのくに」を観るつもり。
その前にアマゾンに、原作「兄 -かぞくのくに」を注文した。


たりたくみ |MAILHomePage

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