たりたの日記
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2018年03月11日(日) 7年前の3月11日

7年前の3月11日の日記を開いてみた。この日記はその日から何日も経過して書いたものだが、その時の表面的な事は書いていても、私の内面に起こった事には一言も触れてはいなかった。

あの時、私自身の存在に対してひとつの大きな気づきが起こったこと。
今、思えば、その事が大きなターニングポイントになった事が見えてくる。

あの日、私は自宅に居たのではなかった。冬場の通勤が辛いという理由で12月11日から3月11日日までの3ヶ月間、職場の近くの家具付き簡易マンション、レオパスに寝起きし、そこから職場に通うという生活をしていた。
それなので、3月11日はそこレオパスを引き払い、自宅に戻る日だった。

幸い、職場の仕事が休みになっていたので、朝からダンボール5〜6箱に身の回りの物を詰め込み、午後、宅配便に集荷に来てもらい、私は電車で自宅に帰るという算段だった。
ところが、荷物を詰めている最中に激しい揺れが何度も起こり、危険を感じて外に出る、出てはまた部屋に戻り荷物を詰めるという具合だった。何が起きたかは分からない。引っ越しなのだから、とうぜをテレビをつけるゆとりもなく荷物を詰め終わる。
ところが今度は、何度電話しても宅配便屋と繋がらない。

テレビをつけてみると、東北でとんでもない地震が起こっていて、首都圏の交通機関も止まっていることが分かる。今日の引っ越しは無理だと気づき、とにかく食料を確保にコンビニに走る。品物はもう残り少なくなっているという状況だった。

一旦は封をしたダンボールを開け、衣類や寝具などを取り出す。
テレビに映し出されるのは物凄い勢いで海へと流される家や車。その中にいる人達も流されているのだ。
この世の終わり?
わたしの罪のために?
この場所も、地震ですっかり破壊されてしまう?
そんな事が頭の中を駆け巡ったが、その後、頭は思考を停止し、ただほおけたようにテレビの画面を見ていた。そこから目を離すことはできず、けれど、何の行動も起こせず、腰が抜けたように座わり込んで。

その時に起こった心の動きをその後繰り返し思い起こしてきた。
それはこんなこと。

その津波に飲まれ、流されてる家や人をみながら、どうして、あの場にわたしがいないのだろう。
わたしこそ、流されてしかるべきなのに。
いえ、むしろ、一息に大きな波に飲み込まれてしまいたいのに。
そう思っていたこと。

その心の動きを、別のわたしが見ていて、わたし自身の内面はかなり危機的な状態にあるなと感じたことも。
深いところで、生きる喜びやエネルギーを失っているという魂の状態に改めて気づいていた。

後で、黙想や霊操について学ぶようになった時、それが 霊的荒み(すさみ)の状態で、わたしはそれと気づかないまま、いえ気づきながらも、それに抗えないままに荒みの状態に絡みとられていたのだと理解する。

あの時のわたし、今のわたしに比べれば、えらく健康で、山登りもダンスもできていた。フルタイムのやり甲斐のある仕事を得て、夫の扶養からも独立して生活できる見通しも立つように思われた。それなのに、今、わたしが得ているような霊的慰めは、そこにはなかった。
よい同僚や、自分を生かせる場所に恵まれていたというのに、表面的には何の不足もなかっのに、深いところで、大切なものから切り離されて宙に浮いているような魂を抱えていたのだ。

翌朝、夫が車でレオパスまで運転してきてくれ、ダンボールと共にわたしも無事、家に戻った。

それからは、東北の災害にも、自分の霊的荒みにも立ち止まって見つめるゆとりのないまま、息つく間もなく、波乱万丈が続いた。

3月末、母が入院し、帰省し、新学期が始まるまで大分へ。
5月、母の容態が益々悪くなり、1ヶ月の介護休暇を取り、病院のそばのビジネスホテルに泊まり、日中は母のそばに。
6月、母の死、葬儀、
7月〜8月 、四十九日の法事と初盆
10月、乳がんが見つかる
12月、乳がんの手術

と、こんな具合に。

霊的荒みから脱出できたのは、皮肉にも、乳がんという病を得た事がきっかけになったような気がする。

あの時、津波に飲み込まれてしまった人達と一緒に、わたしの何かも飲み込まれ、流され、魂は巡礼の方向へと歩みを進めていったように思う。

この7年間、
乳がんの手術の後、父の死、フランス巡礼ひとり旅、テゼの集会のリード、数日間だったが、東北のボランティアに。
その後、胆管がん、そしてその再発、イスラエル巡礼、カトリック教会への改宗。
ある意味、「巡礼」を続けてきたような感覚がある。その一歩、一歩が、霊的回復を助けてくれたのだろう。
山登りをする体力もなく、仕事も最低限のところまで縮小し、自立どころか、寝てばかりで、全面的に夫のサポートの元で暮らしていて、教会の奉仕すら何もできないのに、今は霊的恵みの時と感じている。 そんな明るい平安さに包まれている。
不思議なものだ。

震災から7年後の今日、ミサに与り、祈りを共にし、震災の特集番組を見ながら、そんなことを考えていた。




この日の説教ライブ

「それでも光にむかって」イグナチオ教会 英隆一朗神父

http://hanafusa-fukuin.com/archives/1918


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