たりたの日記
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2018年02月21日(水) 昨夜の事

浅い眠りの中で曼荼羅を見ていた。円の中央から広がっていく複雑な模様の曼荼羅は色というよりは光を放っているように見えた。中心から次の輪、そして次の輪へ、それは私がやり遂げたいことが、少しずつ満たされて行っている事を示しているのだという認識があった。美しい、象徴的な夢だった。

曼荼羅の絵がまだ残る意識の中で目覚めたのだが、身体の方はそんな平和と裏腹に布団の中にいるにもかかわらずとても寒い。足元にある湯たんぽを抱え込む。デロンギはついているし、エアコンの温度を上げてみても寒さは収まらず、悪寒は痙攣に変わった。12月からこっち、高熱にはなっても痙攣に見舞われる事はなかったので、久々の事だ。この寒さを何とかしたい。せめて、引き出しからヒートテックのスパッツや暖いハイソックスを取り出して履きたいと思うのだが、一度痙攣が起これば、身体を縮めて震えるより他に手立てがない。少しでも足を伸ばそうものなら、寒さが身体をばらばらにしてしまいそうな感じなのだ。

何とか首を回して時計を見れば夜中の3時。夫を起こすには忍びないとしばらく震えていたが、ついにSOS発信。声がでないので隣の部屋で寝ている夫に携帯電話をかける。
ありがたい事にすぐに気づいてくれた。
まず一階からストーブを運んでもらい、部屋を暖めてもらう。サウナ状態の暑さだと彼は言うのだが、私は冷蔵庫の中にいるように寒く、がたがたと震えていて、取り出してもらったスパッツも靴下もとても身につけられない。熱は39・4度。
医師からは39度を超えた場合は救急車で病院へ来るようにと言われていたが、痙攣は熱が上昇するまでの間だけで、一旦上がってしまえば、身体は楽になるし、その後熱も下がる場合が多い。震えながら様子を見ることにする。夫も私も、もう何度となくこういう場面に合ってきたから、それほど深刻ではない。

3時45分、ようやく痙攣が治り、身体の力を抜いて、スパッツや靴下を履き、スポーツドリンクを飲む事ができた。熱は39・9度。
ようやくピークに来て、開放されたのだ。
これまで解熱剤の使用は避けてきたが、この時間に病院へ行きたくはないので、夫の勧めもあり解熱剤を飲む。しばらくして熱を計ると、38・5度に下がっていて、部屋の中も布団の中も暑いと感じられる。ガラス窓を開けて冷たい空気を吸いたいほどになる。もう大丈夫。夫も部屋に戻り、わたしも眠ることにした。時間は朝の4時になっていた。嵐のような1時間の出来事。

朝7時、深い、そして心地よい眠りから目覚める。パジャマは汗で濡れていて、熱が出切ってしまった後の爽快感さえあった。
今日は無理をせず、一日身体を休めることにしよう。
胃腸を休ませるために夕方までは固形物を摂る事もやめておこう。
夕方のクラスはやれそう。

さて、ここからは、振り返り。
いったい夜中の急な発熱は何に原因があったのか。
ここのところお腹の具合が悪く、昨日も完全に良くなっている訳ではないのに、早朝から電車に乗って、都内まで、マイクロ波の治療に出かけた。途中電車の中でお腹がごろごろし始め、ひやひやしながらの移動だった。
治療を始めると、始めの10分くらいで、ものすごい発汗があり、疲労感も今までになく高かった。それでもせっかく来たのだからと、休み休みではあったが、2時間近く治療を受けた。昨日は患者さんが少なかったので治療器を2台使うことができ、ひとつをお腹に、もう一つを背中側に置き、パワフルな治療だった。
治療の後はさすがにぐったりと疲れて、バスと電車の中でほぼ熟睡状態で最寄り駅まで。
朝は夫に駅まで車で送ってもらったので気づかなかったが、ここ数日寝てばかりいたせいで、歩行力が落ちていることが分かる。やっとの思いで家に帰り着いたのが午後2時半。それから、かぼちゃスープと小豆麹のお汁粉にお餅を入れたものを遅い昼食に摂り、一休み。
4時半から6時半まで英語教室2クラス。

ここにもわたしの貪欲さが見えるなぁと反省。
まだ身体の調子がきちんと整っていないのを承知で、遠くへ出かけ、パワフルな温熱治療をした。これは明らかに判断ミス。しかもこの日は仕事も控えていたのだから、出かけるべきではなかった。
病気を治したい一心ではあったものの、身体にはそれに耐えられるだけのパワーがなく、無理強いされた故の深夜の反乱となったのだろう。
けれど、一方では、身体はこうして発熱することで、懸命に癌と闘ってくれているのだとも考えられる。
身体に聴くというのはなかなか難しい。つい自分のエゴが勝ってしまう。自分の身体を自分で治すのだという感覚をもっと研ぎ澄ますのでなければね。


たりたくみ |MAILHomePage

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