たりたの日記
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2018年02月13日(火) 池澤夏樹の 石牟礼道子追悼文


昨日の朝日新聞に、池澤夏樹が書いた、石牟礼道子の追悼文が掲載されているということなので、ネットで調べてみると、全文が記されているものが見つかった。この追悼文を、新聞の切り抜きをノートに貼るような気持ちで、ここに貼らせていただこう。



池澤夏樹 石牟礼道子追悼
石牟礼さんがもういない。

 熊本に行っても、託麻台リハビリ病院にもユートピア熊本にも石牟礼さんはいない。念のため、以前に暮らしていらしたやまもと内科の四階を覗(のぞ)いても、やはりおられない。あれらの部屋はみな空っぽになってしまった。

 この十年、何度となく熊本に通った。不知火海を一周して水俣に寄ログイン前の続きり、遠く高千穂へ走って夜神楽を見、一昨年の地震の惨状も確かめに行った。その他にも何かと理由を作って訪れた。

 すべて石牟礼さんに会うためだった。

 パーキンソン病でお首が揺れるのだが、いつもいい顔をしておられた。声が美しく、昔の話が次々に湧いて出て、お疲れを案じながらもついつい時間を忘れた。その場にいられることが何よりも嬉(うれ)しかった。

 何をしても上手な方で、病院の個室で炊飯器一つで煮物を作られる。これが本当においしい。いつも品のいいものを召していらして、どれも手作り。昔の布をつないで不思議な上着を仕立てられる。絵は最後まで描いておられたし、小声で歌われるのを聞いたこともある。

 この人の前に不細工な無能な男としてただ坐(すわ)っているのが苦しかった。身を持て余す思いがした。こちらからお渡しできるものが何一つなくて頂くばかり。それでも石牟礼さんはぼくが目の前にいることを喜んでおられる。

 病状を抑えるために服用している薬の副作用で頻繁に幻覚がやってくる。ここ二、三年はそういうお話が多くなった。

 去年の十一月に聞いたのは(今から思えば最後になったのだが)、「部屋の隅に街灯のように立つ二人の見知らぬ男」とか、「温泉で衣類を残して消えてしまった入浴客。みなで探すがいない」とか、「(昔の水俣の)とんとん村の海岸にいる。水平線に天草が見える。でも海を隔てる壁がある」というような話。

 声が小さくなって口元に耳を寄せるようにして聴き取った。幻覚ではあるが、しかしそのまま石牟礼道子の文学でもある。

 そもそもこの人自身が半分まで異界に属していた。それゆえの現世での生きづらさが前半生での文学の軸になった。その先で水俣病の患者たちとの連帯が生まれた。彼らが「近代」によって異域に押し出された者たちだったから。それはことのなりゆきとして理解できる。でも、たぶん石牟礼道子は初めから異界にいた。そこに相互の苦しみを通じて回路が生まれたのだろう。

 去年、石牟礼さんは『無常の使い』という本を出された。「五〇年くらい前までわたしの村では、人が死ぬと『無常の使い』というものに立ってもらった」と序にある。二人組で、正装で、行った先では「今日は水俣から無常のお使いにあがりました。お宅のご親戚の誰それさんが、今朝方、お果てになりました」と口上を述べる。

 これは石牟礼さんがこれまでに書かれた追悼文を集めた一冊である。たくさんの人たちと深い魂の行き来があったことを証する名文集である。この時を迎えて読み返しながら、ここでもぼくは引け目を感じる。自分の場合はこんなに深く人々と交わることができなかった。縁を作れなかった。数少ない縁の一つが他ならぬ石牟礼さんとの出会いだった。

 数時間前、ぼくのもとに無常の使いが来た。「石牟礼道子さんが、今朝方、お果てになりました」と告げた。


 ◇石牟礼さんは2015年1月から本紙西部本社版で、17年4月からは全国版の「文化・文芸面」で「魂の秘境から」を連載中でした。今年1月31日付の掲載が最後になりました。


http://s.webry.info/sp/sekisyuu.at.webry.info/201802/


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