たりたの日記
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2017年10月29日(日) かつての職場の同僚たちと

昨日からの雨は翌朝になっても止んではいないが、体調は良くなっている。出かけられる!
予定通り、夫と共に四谷へ。この日の予定は10時からのミサに出た後、私はかつての職場の同僚達7人と四谷駅近くのレストランで会うことになっている。

3年間勤めた都内の区役所での仕事を退職してから7年経つので、7年振りの顔合わせという事になる。公立小学校で高学年を対象に英語教育(外国語活動)が導入された2009年度に、その区の教育委員会でその外国語活動をサポートする要員としてアドバイザーの募集があった。今は26名のアドバイザーがその職に就いていて、当時のアドバイザーの2人はスーパーバイザーとして活躍しているが、当初は8人でのスタートだった。大学や大学院を卒業したばかりの若いワーカーの中で52歳の私は当然最年長。一人8校を担当し、自転車やバスで担当校を訪問して授業をサポートし、役所へ戻り、翌日の準備をし、日誌を書くという仕事は予想以上の重労働で体力勝負だった。よく、この年齢の私が採用されたものだと思うが、あの時はジムに通いダンスをしていた頃で、体力テストでは18歳と出ていたので、その事を履歴書にも書いたせいだろうと思う。

学校現場も手探り状態なら、集められた我々も手探り状態。過去の資料やマニュアルがあるわけでもなく、自分で授業を進められるのならこれまでの経験をそのまま活かす事もできるが、学級担任の授業のサポートや学校の英語教育の環境作りといった事は新しいチャレンジだった。小学校の現場での指導経験もない若い方々にとってはさらに大変な日々だったのではないかと思う。

その日その日の仕事をこなすのが精一杯だったので、当時の事はもう記憶から消えているような感じがしていたのだが、かつての仲間達の顔を見て、あの当時のように、担当校の事や仕事の思い出話をしていると、あの時と今が何の隔たりもなく繋がるような不思議な感覚が起こった。記憶は、次々と呼び戻される。

それぞれが個性豊かな人たちであったが、その個性はそのままで、この喋り方!この笑い!この感覚!と記憶は一度に呼び戻され、呼び戻された記憶には新たな解釈や理解も加わり、あの時期、この仲間達の存在がどれほど大切で必要だったかが、当時よりもよく分かるのだった。朝、夕の短い時間や作業日という役所内での仕事の合間を縫っての会話であり、やり取りではあったが、そのやり取りが楽しく、励みになっていたのだったことが分かる。

若いアドバイザー達と私では親子の年の差があったものの、年齢や経験での上下関係などなく、それぞれが対等であった事も気持ちの良い関係だった。私は自分の年齢をすっかり忘れ、若い人達と同じ気分で仕事に向かっていたのかもしれない。

とにかく不思議な3年間だった。そして不思議な事にその気分は今も私の中で生きていた。別な言葉で言えば、長い間会っていなくても、この先もあまり会う機会はなくとも、彼女達の存在が私の中で生きている。そして生き続けるのだろう。他の人達との関係もまたこうした不思議の中にあるのだろう。感謝!




たりたくみ |MAILHomePage

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