たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2017年09月08日(金) 11回目の治療日、うららちゃんに会いに。

今日は11回目の治療日、6クール目に入った事になる。
点滴の前の血液検査の結果、白血球の数値は前回の3400から2300に下がっていたが、ぎりぎり点滴は受けられるということだった。
今日はこれまでに習ったグレゴリオ聖歌1年コースの復習と、文学ゼミの課題の「方丈記」を読むことにしている。そして、もし連絡がついたら、従兄弟の長女に会う予定だ。

しかし、しかし、今朝は4時半に目が覚め、もう一度眠れる気がしなかったので、起きて、「奇跡のコース」の学びとヨガをしていた。夕方までエネルギーが持たないかもしれないので、まずは眠ろうと、グレゴリオ聖歌を聴きながら目を閉じていたら、CDの最後の曲、Salve Regina サルベ・レジーナを夢のストーリーの中で聴いていた。1時間ほど眠ったらしい。
おかげでその後はすっきりして、ラテン語の歌詞の復習や読書ははかどった。うららちゃんからメールの返信もあり、今日会えるとのこと。

彼女と会うのは4年半ぶり。結婚して京都に住んでいたうららちゃんに赤ちゃんが生まれたというので、どこかへの旅の帰りに訪ねて以来だ。この春、ご主人の仕事の関係で、関東に戻ってきたというので、7月には2人の子どもを連れて我が家に遊びに来ることになっていた。ところが私の体調が整わず、ベトナム行きも迫っていたので、会えないままになっていて、気にかかっていた。
そうだ、病院から彼女の住まいはタクシーで10分かそこらの距離。治療が終わって、夫の迎えを待つ間の時間でお宅に行って子ども達にも会えるし、夫にはそこに迎えに来てもらえばいい。

急なオファーだったが、すっかりママになりきっているうららちゃんと、元気に育っている男の子達に会って、しばらくの間いっしょに過ごすことができた。うららちゃんが4歳、ちょうど、彼女の上の男の子と同じ年の頃、お母さんが出産で入院している間、家で預かったこともあった。そんな小さな頃のうららちゃんの面影や仕草ははママになった今も残っていて、ほほえましく、感慨深いものがあった。

慣れない土地での子育てで、子ども達の他話す大人もいないようだ。どんなにかストレスフルなことだろう。何も力にはなれないが、こうして治療の帰りに立ち寄る事くらいはできるかな。

帰りは夫と以前よく行っていた焼き鳥屋さんへ。ノンアルコールビールと焼鳥、釜飯も食べて、今日も充実した治療日ではあった。

ところで、治療の後はやたらとハイになる。これは吐き気止めの点滴に含まれる成分のせいらしいが、やたらと頭が活発に動きだし、あれをしたい、これをしたいモードになる。先週の金曜日はしきりに次の週末に旅に出る事を考えていた。ちょうどJR東日本の「大人の休日」のフリー切符が使える最後の週末。15000円で、秋田の玉川温泉に再挑戦しようか、長野駅から栂池自然園へ行き、白馬岳の大雪渓を眺めながらトレッキングをしようかなど、かつての日記を探し出し、ルートを確認したりしていたのだ。先週の金曜日は日曜日には夫とフリー切符を買いにいく相談までしていたのだからまったくあきれたものだ。

この週末の旅はさすがにあきらめたが、アメリカの友人との事をもとに小説を書いてみようとプロットを考えたり、孫達のために絵本をつくろうかと、頭の中で絵が動き出したり、子どもの絵本の読み聞かせをYouTubeにあげようかと読みたい絵本をあれこれ考え始めたり、(これは違法なのでだめですけどね)とか、明らかにハイだ。でも身体は白血球もぎりぎりまで下がり、それどころではないのだから、危険を感じて、ブレーキをかけようとするのかもしれない。まず、身体の声を聴かなければね。



たりたくみ |MAILHomePage

My追加