たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2016年05月01日(日) 達人対談

昨日オーガニックライフのヨガイベントに参加した。まずは<成瀬雅春& 藤田一照/達人対談果てなき内的探究-瞑想の実践 >
昨年に続き、今回もとても面白く、心湧く対談でした。昨年は「ヨガとは良く死ぬこと」という成瀬さんの言葉にインパクトを受けたが、今年は「瞑想とは自分を知ること」という一言。瞑想についてしばらく考えを巡らしてみたいと思った。もちろん、実践も。

早速、amazonから 成瀬雅春著「悟りのプロセス」を取り寄せ、読み始めた。今日、5月3日のこと。

対談を聴きながら、私自身の瞑想について、あるいは、子供の時からの宗教的体験と言えるものを思い返していた。
成瀬氏は自分を観察することが面白くてしかたない。自分に死が訪れる時のことが、わくわくするほど楽しみだと語っておられた。達人の足元にも及ばないにしても、その言葉には充分納得がいき、私もそうだと思った。がんの宣告を受けた時、ショックやよく言われるような、頭が真っ白になるような状態にはならず、もしかして、いよいよその時を迎えるのか、といった妙な高揚感があった。同時に、そういう心持ちである自分が面白いと思い、これはよく観察し、書いておかなければと思ったのだ。その後のICUでのあれやこれや、入院中のあれやこれやも、非日常の場におかれた自分を観察し、記録しておこうという気持ちが働いた。
なので、退院し、日常に戻れば自分を観察する気持ちも薄れ、自然と日記の更新も少なくなってしまったのだろう。

ところが瞑想というのは日常の中にありながら、そこから自分を切り離し、自分の内側に生じていることに意識を向けるという行為なのだろう。座して瞑想する時間はあまり持てていないものの、朝歩く時、ヨガや呼吸法をする時、温泉に浸かる時の瞑想状態は心地よい。リコーダーを吹くことに集中すること、グレゴリアンチャンツを歌うことに集中することも、また瞑想ということなのだろうか。

成瀬氏によると、瞑想には段階がある、訓練することで、一歩一歩、そのスキルを上げていくものだとおっしゃっていた。そのプロセスについては、「悟りのプロセス」に書いてあるということだってので、瞑想についてのステップを学ぶべく、この本を読み始めた次第。
さて、夜更かしすると、明日の朝の瞑想に支障が生じる。今は、できるだけ早く、眠りにつくことだな。

おやすみなさい。



たりたくみ |MAILHomePage

My追加