たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2008年02月24日(日) 山に呼ばれて

ここ、三週間ばかり、折口信夫の「死者の書」を読んでいる。始めはこの難しさはなんだ!英語より難しい!と思ったものの、話が6章に進むや、この話がすっぽり自分の中におさまった。
わたし自身が体験していて、それを何とか文章にしたいと悪戦苦闘していたものが、そこにそのままあった!このことだった、わたしが書きたいと思ったのは。
今日は「死者の書」について書き始めようと思っていたが、その前に、わたしが悪戦苦闘したという文章をひとまず載せておくことにしよう。
定期購読している「山の本」という季刊誌で「ひとりの山」という特集の公募があったので原稿を出した。結果は没だったが、わたしにとっては、なぜ山へ出かけようとするのか、その事に心を留めてみる良い機会になった。そして、それが「死者の書」とシンクロしている事に驚く。
原稿を出す時には書かなかった最期の三行もここには加えておこう。



         山に呼ばれて
                      

わたしは、どういうわけでひとりで山へ行くのだろう。週末、仲間との山行きになかなか参加できないので、平日にひとりで山歩きをするようになったのだが、理由はそれだけ?良い機会だ、考えてみよう。

わたしは人が唖然とするほどに方向の感覚を持ち合わせていない。街の中ではいつも道をまちがい、こちらだと見当を付けて歩き出した道はきまったように真反対の方向だったりする。それだから見る夢の多くは道に迷う夢で、目覚めるまではいつまでも迷路の中から抜け出せない。
そんな中年女が地図とコンパスを握り締め、ひとりで山を歩くのだから、周りの人間がひやひやしたり、あきれたりするのは道理だ。自分でも信じられない事をしていると思う。「その歳では誰も襲ったりはしないから大丈夫。」と山の師匠は励まして(?)くれるが、人でなくとも熊だっている。そうだ、わたしは熊以前に犬が怖いのだった。いったい山道で野犬に合ったらどうするというのだろう。

けれども、山から呼ばれる。その声を聴いてしまえば、答えないわけにはいかない。気もそぞろに地図を広げ、計画作りに没頭する。まずは電車やバスをうまく乗り継ぎ、登山口まで辿り着くまでがけっこう難儀だ。何とか登山口へ辿り着き、そこに登山客の影などがあれば有り難いのだが、大方の場合は期待に反して誰もいない。家を出てからの、いえ、前の晩からの緊張もそのままに山の奥へと進んで行く。
山は入り口のところでは、決まって人間の侵入を拒むかのようなよそよそしさを漂わせている。「大丈夫です。怪しいものではありません。」そう、呟きながら神妙に歩き始める。けれどもしばらく奥へと入っていくうちに、はらりと様子が変る。あたりの空気がふうっと暖かくなり、まるでいきなり山が懐を開いてくれたような親しさを身に覚える。ひたすらに静かだ。その静けさの中に身を沈めると、言葉を超えた言葉のようなものが届き、音ではない音のようなものが聞えてくる。これが至福というものでなくて何だろう。
山が受け入れてくれたと思い込むのだが、実際はわたしの自身の変化なのだ。私の内部の深いところでひとつの扉が開くに違いない。それは深い瞑想や祈りの時に辛うじて開く扉なのかもしれない。日常の中では求めてもなかなか辿り着けない心の奥まったところにある扉・・・きっとそうなのだろう。

お誘いを受け初めて遊山倶楽部の山行きに参加した三年前の三月初め、奥多摩の大岳山から御岳山まで歩いた。学生の時分、今の連れ合いに引っ張られ、くじゅうや白馬岳を歩いた事があったが。それ以後は山に登る事もないまま日が過ぎていた。
山の奥深く、光が射さずにうっそうとした山道にはまだ雪が残っていて途中からアイゼンを付けて登った。数日前に買ったばかりの初めて付けるアイゼンだった。あの時の山行きは珍しくメンバーが少なく、わたしも含め4人だった。そしてその4人はお互いにずいぶん離れたところを各々で歩いていたので、奥深い雪の山道を、ひとりで歩いているような感覚があった。それが良かった。山の静けさに打たれた。いったい山とはこれほど静かなところだったのだろうかと、その静けさにときめいた。しかもその静けさの中には、なにかこちらへ向かってくる働きかけのようなものがあって、わたしはそれに答えるべく小さな声でそっと歌わずにはいられなかった。幸せだった。あの初めての山で、あの静けさに出会う事がなかったら、わたしはこれほど山に惹きつけられただろうか。

その年の夏、大分の実家に帰省した際、ひとりで阿蘇へ向かった。夏休みの阿蘇ならば登山客もたくさんいて心細い思いをする事もないだろうと考えた、初めてのひとり山行だった。ところが宮地駅に着いてみると、登山の恰好をした人は見当たらない。相乗りの当てがはずれ、ひとりタクシーで仙酔峡の登山口まで行った。登山口から向こうに目指す高岳が聳えている。しかし、登山口にも馬鹿尾根と呼ばれるその頂まで続く道にも人の姿はなかった。不安な気持ちを押して仙酔峠まで歩いたものの、もの凄い突風。むき出しの尾根を歩くのが怖くなって意気地なく麓まで引き返した。今度はロープウェイで山頂駅まで上がり、火口展望所まで歩いて行った。信じられないような景観が立ち上がった。いくつもの火口は荒々しく、白い煙を吐き散らしていた。きっぱりとした、人を寄せつけないような厳しい表情を露にしている。人気がない火口は怖ろしい。突風は火山灰を巻き上げ、まるでわたしを追い払うかのように、固い石の粒を吹きつけてくる。それなのに、その怖ろしさに惹かれ、そこを離れることができない。そればかりか、もっと怖ろしい目に会おうとでもするように、展望所の端からおそるおそる中岳へ向かって歩き始めた。風はいよいよ強く、帽子や眼鏡はおろか、重心を低くしなければ、わたしの身体ごと、火口の中に吹き飛ばされてしまいそうだった。中岳へ向かう事はあきらめ、仙酔峡まで歩いて降りることにした。
風の為、ロープウェイは運行中止になっていた。誰もいない山道だったが、そこは平和だった。すぐ脇には可笑しなくらいに大きく高岳が控えていて、まるでわたしを見守るような温かい印象だった。山とわたしと二人だけという何とも愉快な時。ひとりでに笑えた。
あの時、あれほど怖ろしい山の姿に出会っていなければ、そしてあの親密な山との時間がなかったならば、私はまたひとりで山へでかけようなどと思っただろうか。

去年五月、この時も実家へ戻った帰り、くじゅうに遊んだ。1日目はネット上で集めた山仲間や古い友人と連れ立って、赤川登山口から久住山へ登った。初めて出会う山仲間との山行きは楽しく、山頂ではビールや持ちよりの煮物で宴会をし、下山してからもバーベキューを楽しんだ。天気も良く、それは素敵な山行だった。その夜はわたしだけメンバーの一人が経営する貸しログハウスに泊まり、翌日ひとり牧ノ戸から星生山へ向かった。ところが前日とは打って変わっての悪天候。登山道は見通しが効かず、ただただ真っ白なガスが立ち込めている。前日、扇ヶ鼻分岐からすぐ側に見えた星生山は山影すら見つけられない。ようやく登り口を見つけて登り始めたものの、もの凄い風だ。ただただ身をかがめて歩く。気がつかないうちにザックカバーが飛ばされていた。頂上には着いたものの、カメラを取り出す余裕も無く、すぐに下山を始めた。ところが道に迷った。あきらかに来た道とは違う道を滑り下り、着いたところは覚えのない湿原だった。いくつもの池塘が霧の中に浮かび上がっていて、現実から夢の中に滑り出したような感じがした。この沼を下手に歩くとずぶずぶと底に沈んでしまうのではないかという恐怖に一瞬囚われる。しかし踏み後がある。地とうの脇の踏み後をぬかるみながらも歩いて行くと、霧の向こうに人影が見えた。どうやらそこに道があるようだ。方向を定め、丘陵を越え、ようやく人の歩いている登山道へ出た時にはほっとした。
同じ山が天候一つで平和な場所から不安な場所に変る事を身を持って知った。山でこれほど心細い思いをした事もなかったが、その只中で見た地とうはそれ故に幻想的で、深く心に焼きついた。極度の不安や緊張、またそれと引き換えのように目に映った美しい景色が、また次の山へと向かわせる。栂池湿地、秋田駒ケ岳、早池峰山、赤城山、四国の剣山、阿蘇の薬師岳、谷川岳・・・昨年はずいぶんひとりの山をした。

この年明け早々に歩いた霧島の山々も、週末だというのにひっそりとした静かな山だった。中岳に登る途中、そこに開けた景色に思わず声を上げた、幾層にも重なる青い山影の向こう、白い雲の中に桜島や大隈半島の山々が浮かび上がっていた。この世のものとは思われないほど荘厳な眺めだった。左手には前日に登った高千穂峰の美しくも荒々しい姿が迫っている。この雄大な神々しい景色の中に芥子粒ほどのわたしがひとりでいる。自然は大きくわたしは小さい。この小ささを味わう時の不思議な安らぎはどうだろう。
中岳の頂上から新燃岳へ向かう。新燃岳のカルデラは底にエメラルド色の水を湛えて美しく、大きくぱっくりと口を開けた火口を半周して獅子戸岳へと繋がる登山道は茫々とさびしかった。そのさびしさは懐かしさに満ちていて、聖書に出てくる荒野を思った。獅子戸岳への急坂はゴツゴツと険しく、イエスが祈るためにひとりよじ登ったオリーブ山を思った。そう、イエスはいつもひとりで山へ行き、そこで祈っていた。
獅子戸岳から向こうに韓国岳を仰ぎ、最終のバスに遅れないようにと、来た道を引き返す。高千穂峰は変りなくわたしの脇に聳えていた。昨日はその山の肩を踏みしめ、その懐に抱かれ、今日はずっとその山から見つめられて歩いた。高千穂峰に別れを告げ、中岳を下りようとした時、思いがけない痛みが胸に走った。身に覚えのある痛みだった。

「あなたがわたしを呼んだのでしょう」とわたしは山に尋ねた。
「ああ、わたしがおまえを呼んだ」と山からの答えが届いた。
十数万年前からそこに存在している山と繋がったと思うと、その果てしなさに涙が溢れた。


たりたくみ |MAILHomePage

My追加