たりたの日記
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2008年01月31日(木) 逆さに貼られた「デミアン」の感想画のこと

 最近、もうすっかり記憶の底に沈んでいた事が、ふっとした事から浮かび上がってきた。今日はその記憶の事を書いておこう。

 その記憶は中学生の時にまで遡る。中学校3年間、わたしは恋の他には読書感想文と読書感想画にはとりわけ情熱を燃やしたような気がする。文芸部と音楽部に掛け持ちで入っていたのだが、文芸部の顧問の女性教師はあまり笑わない、凛としたそして静かな人で大好きだったが、彼女はわたしの書く読書感想文に、わたし以上に情熱を燃やしているようだった。図書室に呼び出しがかかり、何度もディスカッションをし、そして何度も書き直しをさせられた。しかしそれが苦痛でなかったのは、彼女がわたしの意見や考えをまず尊重し、彼女の考えを押し付けたり、誘導するという事がなかったからだろう。
 この文ではうまく気持ちが伝えられていないとか、こちらの内容とこちらの内容はまとめた方が良いのでは、この記述はもっと詳しくといったアドバイスをくれた。そして入選した時には、けっして笑顔は見せなかったものの、とても喜んでくれた。これまで文学を専攻して勉強する事もなかったのに、今文学に親しみ、こうした駄文を書き続けているのも、もしかするとこの時の影響があるのかもしれない。

 しかし、わたしが書こうとしたのはこの事でなく別の事。
中学校2年生の時だった。わたしはヘルマン・ヘッセの「デミアン」の感想画を描いた。それは画面の下半分に青白いいくつもの手が下から上へ何かを掴もうとするように描かれていた。そして上半分は冷たい炎。濃い青やグリーンの燃える炎のようなものを描いていたような気がする。、その小説のどこにもそのような描写は出てこない。しかしながらそれは、わたしがその小説から受け取った情景だった。その絵を描き終えて提出する時、自分の心の中にある事を絵にすることができた事に深い満足を覚えていた。

 ところがその絵を提出した次の日の美術の授業の時、美術の教師はにこやかに笑いながらわたしの絵の前に立つと、「この絵は入選するよ。でもここはこうした方がいい。」と赤い絵の具をあたかも滴る血のようにその白い手にくっつけ始めたのだ。「違う!違う!」わたしは心の中で叫びながらも、されるがままになっていた。その教師が入選させてあげようという親切心から手入れをしてくれた事は良く分かったし、なるほど、もっとドラマティックでなければ入選しないんだろうなと思ったからだ。
 しかし、かといって、わたしの絵に赤い絵の具を乗せるわけには行かない。わたしはそうは感じていないのだもの。赤い絵の具は嘘になる。悩んだあげく、放課後の美術室に偲び込み、後ろの棚に他の絵と重ねて置いてあったわたしの絵を抜き出し、その赤い血をすっかり上から塗りつぶしてしまった。

 その教師からは呼び出しも受けず、その後何も言われなかった。善良な教師だったのだ。そしてその絵は県入選し、巡回展示がされ、大分市の書店でも展示された。電車で1時間かけてその絵を見に行ったのだったが、掛けられているわたしの絵を観てがっかりした。絵はわたしが最後に修正したそのままだった。ところが上下が反対に掛けられていた!
 学校に行ってその事を別の美術の教師に話すと彼は事もなげに、「あぁ、あの絵は逆さにした方がいいよ」と言うのだった。返す言葉がなかった。

 わたしの絵に赤い絵の具を塗った教師も、「逆さの方がいいよ」と言った教師も、そんな事はすっかり忘れているのだろう。わたしにしてもそんな事は今まで全く忘れていた。ところが心はこの時の事を忘れないでいたのだった。
 わたしが子ども達に発するひとつひとつの言葉の中に、あの教師達と同質の言葉や行為がなかっただろうか。ある、きっとあるに違いないと思う。悲しいけれど・・・。その事に気付く事もなしに、彼らの自尊心を傷つけているのだろう。小さい彼らは何も言わないが小さい心にその事はしっかり刻みつけられるのだろう。
心しなくては。

 ところで今夜は満月じゃないよね。


たりたくみ |MAILHomePage

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