たりたの日記
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2008年01月22日(火) 百人一首

 子どもの頃、よく百人一首をしていた。
父か母が独特の節をつけて朗々と、読みふだを読み上げ、それを残りの者が取るのだが、わたしも弟も何枚かは覚えているものがあって、競い合って取っていた。歌を覚えている親達がさっさと札を取ると、こども達は悔しく、今度は新しく覚えて、勝ってやろうと目標を定めるのだった。
 小学生の頃は、歌の意味はまったく分からず、富士とか雪とか鹿とか、知っている言葉の入っている歌を選んで覚えていた。それでも、外国語のように聞きなれない響きがあり、ふつうのカルタよりはよほど面白かった。

 ところが中学生なって、百人一首の本を買い、歌の注釈を読んでみると、何とほとんどが色っぽい大人の世界の事ではないか。なんだか親といっしょにそんな恋の歌でカルタ遊びをしていた事が急に恥ずかしくなってしまった。その一方で、恋愛の歌の札だけを取り出し、繰り返し読んでは覚えた。当然、その色っぽい世界の事を心に描きながら覚えるのだから、相当にませた中学生だった。
恋の歌はすっかり覚えてしまったから、それでは季節を歌った歌をと覚え始めたものの、こちらは少しもおもしろくなくて覚える気にならなかった。興味がないものは覚えられないものなのだ。

 今、英語学校で、シニアクラスのおじいちゃま相手に百人一首を英語の詩に翻訳したものをテキストに、毎週ひとつづつ読み味わっているのだが、こちらでは自然と色っぽい歌はあまり選ばない。お陰で、中学生の時に覚えそこなった歌にも次第に馴染んで、その世界も味わえるようになった。

 そんなこんなで百人一首には子ども時代から今に至るまで、思い入れのようなものがあるので、英語クラスにやってくる小学生達と、一年に一度は百人一首をやりたいと思っている。
 去年は6年生のクリスマス会の時にやったのだが、なかなか好評だったので、今年は3年生から6年生の子ども達にカルタ大会の案内を出した。それが今週の土曜日なので、「土曜日、カルタ大会だからね」と声をかけたのだが、どうやら男の子達は興味がなさそうな様子。いったい何人集まるかは分からないが、久し振りのカルタ、わたしは楽しみにしている。

 ところで歌の意味は教えるか、どうするか・・・教えたところで大人の恋心は彼らにとってはちんぷんかんぷんに違いないから、ここは音の響きだけで楽しんでもらう事にしよう。
「意味はそのうち、中学校や高校で教えてもらえるから、その時までお楽しみに!」と言っておこう。今は分からない秘密を内に秘めた言葉に触れることも楽しい事ではないかと思うのだが、どうだろう。

今日、昭和さんの日記に筒井康隆の『裏小倉』の事が書いてあって、爆笑してしまった。昭和さんの日記にあるように、元歌を知っていると確かに可笑しい。
「基本を勉強しておくと楽しみが増える」その通り。
 わたしは一人でこっそり百人一首の恋の歌を覚えたりしたけれど、中学生の時に、授業できちんと歌の意味も教えてくれるような国語の教師に出会えていれば良かったのにと思ったことだった。 


たりたくみ |MAILHomePage

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