たりたの日記
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2007年09月21日(金) 遠い日の痛み映して彼岸花



遠い日の痛み映して彼岸花

久々のふるさと。
彼岸花の咲く時期にここに居た事がないので川に沿って咲いている彼岸花にはっとしたのでした。


 21日、携帯からこの写真といっしょに送ったミクシー日記はこんな風だった。
 ふるさとというのは子どもの頃の思い出がどこにも張り付いていて、遠くで暮らす日常では忘れているそれらが様々なシーンで蘇ってくる。誰でもそうだろうけれど、子どもの頃や青春時代の記憶はどこかに痛さを含んでいる。何かはっきりした事件や原因は思い出せないまでも漠然とした痛みや哀しみや不安がその風景とともに残ってしまったかのようだ。彼岸花を目にした瞬間に何かしら横切った痛みのようなもの―

 旅に出る前の日に、友人の詩人Kさんが私家版の詩集「記憶祭」をお送り下さり、わたしはその詩集を旅のバッグに入れ読み味わっていた。Kさんが同世代であるからか、kさんの子ども時代の記憶が綴られている詩はそのままわたしの子ども時代の気分に流れ込んでくるのだった。
 いつの日かKさんのように記憶の痛みを詩にして解き放ちたいと思った。















けれど、ふるさとは思い出ばかりじゃない。去年あたりからふるさとでの出会い直しや、ふるさとに住む見知らぬ方達との新たな出会いが始まっている。
 この日、母の手伝い(山のような栗の渋皮をむきそれを甘く煮る)を済ませ、父の昼食の介助に施設を訪ねた後、夕方の5時過ぎに、高校の時の同級生のレイちゃんとヒサヒロくんに会った。またその足でレイちゃんの車で大学時代の先輩アダチさんの勤める職場へ行き、短い時間だったが歓談する機会を得た。
 この5月、レイちゃんとはミクシーのコミュ、「大分の山が好き」のくじゅう三平さんらといっしょに久住山に登っているし、ヒサヒロくんには別府で断食道場を案内してもらった。アダチさんとは去年の12月に鶴見岳をごいっしょしている。山やホームページ、ミクシーといった新しい場所での出会いが少しづつ広がり豊かになっているような気がして嬉しかった。
 この冬帰省する時には年忘れ登山でいっしょに由布山にでも登ろうと話して分かれた事だった。

 写真は父のいる老健施設へ行く途中の風景。むこうに見える山は佩楯山(はいだて山)。子どもの頃から朝に夕に眺めて暮らした山だ。




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