たりたの日記
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2007年09月11日(火) |
夏目漱石著「夢十夜」より「第六夜」を読む |
夏目漱石 「夢十夜」より「第六夜」を読む この話は、鎌倉時代の運慶が、明治の時代に、野次馬に取り囲まれながら仁王像を彫っているという、いかにも夢らしく、江戸の小話や落語のような親しみ深さとユーモアのある作品で、「坊ちゃん」に現れている漱石の快活な側面を見る思いがする。 しかし一方では、この話の中に漱石の芸術に対する葛藤や不安もまた垣間見る。
まずは運慶の仕事を見ながら下馬評をやっている人達への視線。運慶の仕事を評価する言葉がいくつか出てくるが、その人達のピントはずれな評、また無教養な評に対する冷ややかさや落胆が見て取れる。ここには漱石の自分の文学作品に寄せられる、一般大衆の好き勝手な評論への思いが反映されているのではないだろうか。 ところが、その見物人の中で、一人の若い男が評する言葉「流石に運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我とあるのみと云う態度だ。天晴れだ。」に、自分は面白いと好意を持つ。この若い男の言葉には、芸術家に対する漱石の理想が込められているように思う。つまり世間の評判などに心を動かされる事なく、一心に自分の作品に向かい合うという態度。ひょっとすると漱石は、文壇や世間での自分への評価を気にする自分とそうした自分への自己嫌悪のようなものがあったのかもしれない。 さらに若い男の「なに、あれは眉(まみえ)や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出す迄だ。丸で土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違ふ筈はない」という言葉。これは、この話の中で要となる言葉だと思うが、このような表現は前にもいくつかの場面で聞いた事がある。例えば、仏師が仏像を彫る時にはその木の中にすでに仏があって、ただその周りにあるいらないところを削っていけばおのずと仏が現れるといった話や、またミケランジェロが彫刻の題材をどうやって決めるかをたずねられた際、「考えたこともない。素材が命じるままに彫るだけだ」と答えた事など、他にもそんな事を語っていた彫刻家や芸術家がいたように思う。そして、わたし自身、人間技とは思えないような完成された造形や彫刻を見て、そうに違いないと思わず納得した事だった。 ところで、この宗教的とも神秘的とも取れる芸術観について漱石はどのように考えていたのだろうか。この話の中で自分は<果たしてそうなら誰にでも出来る事だと思ひ出し>、片っ端から薪を彫って見たが、仁王を蔵している薪はなく、<遂に明治の木には到底仁王は埋まっていないものだと悟った>という結論に及ぶ。 ここに漱石の明治という時代への批判とその中で芸術活動をしてゆく上での困難さを見るような気がする。まず、運慶が評価などを気にせずに一心に作品のみに集中する事ができるような土壌、また自分の力を超えたところにある潜在意識が思いもかけないような作品を生み出すというような素朴さが明治という時代にあってはすでになく、そうかと言って、神と対峙した欧米の文学に見られる哲学的、宗教的な深さを秘めたもの、人間の本質に迫り、真理へ到るような普遍性を持つ文学作品は書かれていない。ヨーロッパで日本には存在しないような芸術に接してきた漱石は、明治の日本にあせりや苛立ちのようなものがあったのではないだろうか。 確かに運慶の彫刻はヨーロッパのバロック、ルネッサンスの彫刻に先んじておりながらすでにそれを超えるようなダイナミックな動きと迫力を持つ、普遍性を備えた芸術作品だ。それに引き換え、明治の文学が新しい流れの中で西洋の思想や芸術に翻弄され、独自の道を見失っていると感じていたのではないだろうか。 漱石の時代をリードする芸術家としての産みの苦しみを垣間見たような気がする。
2007年9月7日
*正津勉文学ゼミ、9月は二回に渡って夏目漱石の「夢十夜」を学ぶ。 この文章は9月10日の読書会の予習として書いたもの。ミクシーのブックレビューに載せる。
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