たりたの日記
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2007年08月26日(日) |
松山番町教会の礼拝に出席 |
四国での最後の日は日曜日。 松山にいる間は幼馴染のSの家に泊っていたので、この日はSとSのご主人、そして高校3年生の息子さんといっしょに、彼女達が通っている日本キリスト教団松山番町教会の礼拝に出席した。
教会学校、礼拝、聖歌隊の練習、牧師と映画を観る会(「武士の一分」だった)とフルコースで仲間に入れていただき、わたしは自分の教会に居る以上にリラックスし、楽しい時を過ごした。牧師夫人から、とってもおいしい「ハワイアンもち」という名のケーキのレシピもいただく事ができたし、聖歌隊の練習は本格的で勉強になった。まさか教会でキムタク主演の映画を観るとは思わなかったが、この映画、藤沢周平の原作で、とてもいい映画だった。
しかし、極めつけは小島 誠志 牧師による説教、「生きる ― 目を覚ましていること」だった。
聴きたかった言葉が直球で迫ってくるので、わたしは聞き逃してはならないと物凄い勢いでノートにペンを走らせていた。 どこかでこの時を待っていた・・・そういう気持ちにすらなった。 初めて聴いた言葉というのではなく、ずっとわたしの内で鳴り響いてきた言葉が、外から入ってきてひとつの力になったような、そんな気持ち。 手を差し出して、けれども欲しいものがなかなか載せられず、あるいは指の間からこぼれていったものが、今はきちんと手の上に載せられたような感覚。 乾いていた喉においしい水をいただいたような、深く染み渡る言葉の水だった。 わたしに必要な、そして用意されていた出会いだと思った。
( ここで聴く事ができます。番町教会のサイトからのリンクです)
またこの日は午後からも教会の活動に加わり、近隣教会でのBQに参加したが、なつかしい方々との再会は思いがけなかっただけに大きな収穫だった。この事はまた後にゆっくりと書きたい。
マルコによる福音書 / 13章 32節 〜37節 < 目を覚ましていなさい >
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
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