たりたの日記
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2007年05月09日(水) 映画「バベル」を観る

今朝夢うつつの中で、風の音が激しく聞えていました。
外はきらきらと澄んだ良い陽射しですが、物凄い風。
洗濯ものも外に干すのがはばかられるほど。

 夕べはここには書かなかったけれど、HP「たりたガーデン」の方は10日振りにまとめ日記を書きました。
記事はここに書いたことや、コミュの報告に書いた事を写真といっしょに貼り付けたものが多いですけれどね。

 そうそう、9日に「バベル」を観ました。
この映画はストーリーそのものよりも、世界の三つの土地のロケという事に興味があったので観たいと思っていたのですが、
モロッコ、メキシコ、東京のそれぞれの土地と文化がとても特徴的に描かれていておもしろかったですし、外国人の眼を通して観た東京、女子高校生や若者達の文化への視線も興味深かったです。
 ハリウッド映画に有り勝ちな歪曲された視線ではなく、どこか冷静でかつ、公平な愛情に支えられた視線を感じました。それはまたモロッコやメキシコ、そして観光するアメリカ人達の描き方も、作り物ではなく、そのまんまという感じを覚えました。

 話題の菊池凛子の演技は固唾を呑むという表現がぴったりなほど、迫真の演技でした。ブラッド・ピットはかっこいいスターという姿を消し、子どもの事や妻の事を心配する一般の男の顔をしていましたし、大好きな女優、ケイト・ブランシッェットのいつもながらの深い表情で子どもの事を気づかう母親をしっかり演じていました。

 主題の「バベル」(旧約聖書の創世記にあるバベルの塔のエピソード)の意味するところがこの映画の底をしっかりと支えていて深い主題を観る側に問いかけてきます。
 言葉が通じない異なる国の人間達。同じ言葉を共有していても通じない心。親子や夫婦の間に横たわる不理解の溝。聞えない者と聞える者との間にある壁。一方、言葉は分からなくても、相手の心の痛みが分かり助けようとする人達、愛そうとする人達。痛みの中で取り戻す絆・・・

 そういえば、この映画そのものが、言葉でよりも、表情や、目や仕草、そして風景で語っているのでした。
 映像の持つ言葉。そこには異なる言葉を持つ人間も、異なる価値観や立場にある人間もひとつところに引っ張り込む力があると改めて思ったことでした。


たりたくみ |MAILHomePage

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