たりたの日記
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2007年02月17日(土) |
永瀬清子の誕生日、そして命日であるこの日 |
この日、2月17日は詩人永瀬清子の誕生日でありまた命日だ。 先日から度々この詩人の事を書いているが、この日こそは、彼女の詩のひとつでもここに紹介し、その誕生と命日を記念したいと思っていたが、2日ばかり遅れてしまった。今日はもう19日だ。
永瀬清子は1906年(明治29年)2月17日に生まれ、1995年(平成7年)2月17日に89歳で亡くなっている。 明治、大正、昭和、平成を生きた人。与謝野晶子やその弟子深尾須磨子とも交流があり、宮澤賢治の詩の素晴らしさをいち早く心に留めた女流詩人の先駆け。詩人井坂洋子に依れば、<ガチリガチリと大地を進む牛>。 (井坂洋子著評伝「永瀬清子」)
四人の子どもを育てながら、田畑を耕しながら夜だけ詩人となり、自分の日常を詩に表現していった人。夫が退職した後は家計を担うべく、72歳まで岡山県の社会教育課にある世界連邦宣言自治体全国協議会の事務局で働き、「岡山女性史研究会」や「宮澤賢治研究会」をリードし、最後の詩集「あけがたにくる人よ」(1989年出版)では「地球賞」と雑誌ミセスの「現代詩女流賞」を受賞している。
1990年4月2日、作者84歳の時に出版したエッセイ集「すぎ去ればすべてなつかしい日々」は、単に個人の思い出に留まらず、この時代を生きた、文学者、女性詩人、またひとりの生活者としての生きた記録として素晴らしい。 ここから多くの事を繰り返し汲み取ることができるし、大いなる示唆をいただくことができる。 詩の自由さ、まっすぐさ、健全さは、 自分を生きることがどういうことなのか教えてくれる。 社会の中で働き人として生き続ける事の大切さを教えてくれる。
さて、たくさんの、様々な文体や様々な心の有り様を映し出している詩の中からどの詩を選ぼう・・・ ここでは有名な「だましてください言葉やさしく」でも「あけがたにくる人よ」でもなく、永瀬氏の思いっきり肯定的なところ、逞しいところが溢れているこの詩を書き写すことにしよう。
大いなる樹木
我は大いなる樹木とならん そのみどり濃き円錐の静もりて 宿れるものを窺い得ざるまで。 素足を水に垂るるごと 人知れぬ地下の流れを わが根の汲めるよろこびにまで。
我は大いなる樹木とならん わが見る人おのずから 安息(やすらぎ)の念(おもい)をおぼゆるまで。
されどわがしげき枝と葉の おくれ毛のごとく微風にも応えん 誰よりもさとく薔薇なす朝の光に先ず覚めん 地にしるす青き翳の レエスの裳のごとくひろがりて われが想いのやさしからん われが想いのすずしからん 樹は行かず 樹は云わず されど天の子供の降り且昇る梯子ならん
まひるわがもとに立ち寄り憩うものあらば われふかき翳と尽きざる慰めとを与えん
嵐の日 更に我は大いならんつよからん 根は大地をふみてゆるぎなからん されど樹液の流れみだるるなく 創痍さえすずしき匂いをはなち やがて又ほほえみの唄をささやかん 夜来たりなば闇に溶け去りて 人知れぬ時に その唄のみは見えざるさざなみとならん
(詩集「大いなる樹木」 1947年出版 )
* 5連目、2行目のつよからんは漢字。 同じく4行目の創痍の創には手偏あり。
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