たりたの日記
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2006年10月29日(日) 抗議する人

マルチン・ルターの肖像
<ルーカス・クラナッハ画(1529年)>



この日、宗教改革記念主日。

この日はプロテスタント教会、とりわけ、わたしの属するルター派の教会にとっては大切な日。

 宗教改革は1517年、ドイツのヴィッテンベルク大学の神学の教授であったマルティン・ルターが「95ヶ条の論題」を大学の教会の扉に貼りだしたことで始まる。
彼は当時のキリスト教会の中心であったローマ教会にいわゆる、楯突いたわけだ。抗議する人=プロテスタント。

 95もの抗議!
その中で、ローマ教会の「免罪符」の販売を非難した。
「免罪符」というのは、聖ピエトロ寺院の改築資金調達のために売り出されていたものらしいが、それを買うことによってあらゆる罰がゆるされるという言ってみれば「お守り」や「お札」に当たるもの。ルターはこれはキリスト教の教義の立場から誤りであるとしたのだ。

 聖書を良く読むなら、免罪符がいかにナンセンスな、非キリスト的なものかは明らかなのだが、ルターは時の権威に逆らったわけだから、教皇から破門される。そこからルターがローマ教皇をトップとするカトリック教会(旧教)から袂を分かち、プロテスタント教会(新教)の先駆けとしてのルター派の教会を設立する。

 ルターの考えの基本的立場は「聖書主義」であり、キリスト教の信仰はただ聖書のみを拠り所とすべきであり、ローマ教会といえども聖書の教えに反する場合は批判される、というもの。

 それまで、聖書はラテン語で書かれたものを聖職者だけが読み、一般の人間は聖職者から教えを受け、自分自身で聖書を読むことはできなかった。そこでルターは聖書をドイツ語に翻訳し、誰もが自分で聖書を読むという道を切り開いた。
そしてルターは、人はその行いによって義とされるのではなく、義は、神の恵みによってのみ与えられるものと主張した。

そのルターのパッションを思い起こそうというためか、ルーテル教会のこの日のシンボルカラーは赤。

赤いワンピースを着て礼拝の司会をした。
ルターのプロテスト精神を讃えて赤い服を着たものの、わたしの内側はどうだろうか。ルターの情熱が、正しいものへの希求が、その火種ほどもあるのだろうか。


                *


 <ガラテヤの信徒への手紙>

5:1−6

 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。

 ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。

 割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。

 律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。

 わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。

 キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。






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