たりたの日記
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2006年10月03日(火) |
つかこうへい原作の映画 「二代目はクリスチャン」 |
先週の金曜日、久し振りにツタヤへ行き、つかこうへいの映画のDVDを借りてきた。
「熱海殺人事件」を借りたかったのだけれど、近所のツタヤにはなかったので、「二代目はクリスチャン」と「蒲田行進曲」の二本を借りてくる。
さて、まずは二代目はクリスチャンから。
純情可憐な美しい修道女(シスター)にぞっこんの警察官とヤクザの親分。しかも恋敵の二人は幼馴染。
まぁ、切ったり、切られたり、撃ったり、撃たれたりのドタバタ喜劇なのだが、この映画の真ん中にどんとあるのは「愛」そのものなのだ。
男の女に対する愛、ヤクザの組に対する愛、仲間への愛、大人の子どもへの愛、そして神への愛・・・
ヤクザが親分の言いつけでみな洗礼を受けてクリスチャンになるのだが、聖書を読んでいるヤクザのおにいさんが、
「自分の命を得ようとする者はそれを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである(マタイによる福音書10−39)」
というところで、ヤクザの仁義とおんなじだと納得するあたり、なるほどねぇとおもしろかった。
最後のシーンで、無抵抗を説いてきたシスターが、皆殺しになった仲間の仇を討つべく、修道女のベールを取り、日本刀を手に敵陣に乗り込むあたり、かっこいい、まるで、ジャンヌダルク。こういう女は好きだ。
そういえば、小さい頃、琴姫七変化(?)が好きで、よくちゃんばらごっこをして遊んでいたものだった。
最後までシスターの盾になって闘ったのは彼女への恋に破れた柄本明の演じる三枚目の警察官。警察官の立場を捨て、わが身を顧みずひたすら愛する女性を守る姿は清々しい。
何ともたくさんの人間がバタバタと殺されてゆく血まみれ映画なのに最後には何か胸に暖かいものが残るのは、ここで描かれた愛の大きさに寄るのだろう。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15−13)
この映画のテーマはこの聖書の言葉にあるように思った。
脚本を読んでみたい。
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