たりたの日記
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2006年08月15日(火) 同窓会

2006年8月12日、この日は特別な日だった。きっとこれから5年、10年と年月が流れてもきっとこの日のことは覚えているのだろう。

わたしが卒業した高校の「昭和50年卒業生同窓会」に出席した。
高校卒業以来、初めての同窓会なので、大方の人達とは32年振りに会うことになる。
同窓会というのは初めてだった。
この時を楽しみにしていたのに、高校の校門をくぐると、思わず足がすくみ、このまま回れ右して帰りたいような気持ちになった。
この躊躇はなんなのだろう。

ともかくも受付開始の2時30分を15分くらい過ぎて、受付の場所へ行くと、わたしのクラスの受付は去年一度会っているSちゃんだったので、ほっと肩の力が抜ける。

思い切って、かつてのクラスメート達がたむろしているところに歩み寄る。
ここでは、この前、市役所で会ったWくんやKちゃんがいるので、何か心強い。と、いうか、それほどに久し振りに合うということで生じるショックがあるのだ。
はっとする感覚がまず起こり、失われていた記憶が戻り、名前と顔とが、目の前にいる人達に重なっていくのだが、そこにはくらくらと眩暈のようなものが起こる。
30年の間眠っていた数々の記憶がいっせいに起き上がろうとするからなのだろう、頭の中が凄いスピードで動いているようなのだ。


クラスは1組から6組まであるが、3年間同じクラスだったから、クラスメートとは3年間、毎日顔をつき合わせ、学級担任のS先生からは毎日数学の授業とホーム・ルームを受けていたことになる。
それほど毎日いっしょにいた仲間と32年の間、ぷっつりと関係が絶たれていて、今また同じようにひとつの教室に入ろうとしている。
3時からはそれぞれのクラスが昔の教室に入り、担任より授業を受けることになっているのだ。

冷房のない夏の教室は夏休み中の補習を思い起こさせた。
3階の廊下の窓から中庭を覗くと、昼休み時間に、ギターを持ち出してそこで勝手に弾き語りのライブをやっていた迷惑な女子高校生のわたしの姿が浮かび、またくらくらする。

と、隣にS先生。
「スギヤマ、お前を見ると、また寝るんじゃねえかなと心配になるなぁ〜」
「えっ、そんな、先生。他の授業では眠ってましたけど、数学は眠りませんでしたよ!」
数学は少しもできないので授業中は緊張していたはず、居眠りしていた記憶などない。けれど先生がそう言うからには数学の授業でも眠っていたのだろう。わたしは有名な居眠りの常習犯だったのだ。
一生懸命に聞きながら、しかしいつの間にかするり、するりと夢の中を出たり入ったりするわたしの癖はこの頃ついたもの。

なつかしい教室に昔のように座り、Kちゃんが週番の役を勤め、警察官になっているUくんが気合の入った声で「起立、礼、着席」の号令をかける。
S先生が近況などを交え、50代からの心構えのような事を話された後、
「じゃあ、いいか、スギヤマ」とわたしの名前を呼ぶと、S先生はやチョークを取り、昔のままの見慣れた手つきで黒板に線を引き始めた。
その瞬間、わたしは身体がぞわそわっとし、脂汗が滲む。
あぁ、この感覚、いつぐらい振りだろう。人の前で数学の問題を解かされる時のあの気分。

しかし、わたしは脅かされただけで、実際に式を答えさせられたのは高校で数学を教えているSくんとHくんだった。
やれやれ、先生も人が悪い。
それにしても、こんな数式、全く覚えていない。

要するに、S先生が導き出したかったのは1:1.618という黄金比だった。パルテノン神殿やミロのヴィーナスや巻貝などに見られる、神が創った最も美しいとされる比率のこと。
前に読んで、映画でも見た「博士の愛した数式」が思い出された。

美しいバランスというのは自然の理に即しているのだろう。
それは物の形だけでなく、さまざまなことがらの中にも存在するものなのかも知れない。
S先生は今日はこの黄金比のことだけ頭に入れておいて欲しいと言われたが、50歳を迎えたこれからの人生、その美しいバランスを自分の内に養っていくようにということなのかも知れないと。


午後4時、記念撮影。
午後4時30分、記念植樹。
午後5時、近くのホテルで懇親会。

ここでは他のクラスの人達とも顔を合わせる。その中には小学校の時のクラスメイトや中学校の時のクラスメイトがいて、古い記憶といっしょに半端じゃない懐かしさがこみ上げてくるのだった。
くらくらと眩暈のようなものは続き、夢見ごこちなものだから、目の前に盛られたごちそうを食べるどころではなく、一角に並べられた芋や麦の焼酎を飲むどころではなく、時を惜しんでいろいろな人と顔を合わせ言葉をかわした。わたしなど、この時を逃がせば、もう一生会うこともない人もいるのだろうから。

それにしても、みんなこんなに話やすかったっけ?
同じクラスでいた時にはまともに話したことも無かった男の子たちとも自然に話ができるようになっている!
突っ張ったり、かっこつけたり、あるいは劣等感を抱いていたりするティーンエイジャーだったあの頃よりも、父親や母親になり、仕事でも苦労を重ねてきた今の方が素直で優しくなっているのだ、きっと。

翌日は埼玉に戻り、ふるさととはまた離れてしまったけれど、長い間失くしていた大切なものがひょっこり手元に戻ってきたような嬉しさと安心感は消えずにいて、心はずっと暖かかった。



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